Ollis salus populi suprema lex esto.
olle olla(女性)ollud(中性),determiner(限定詞)そのもの(たち)
olle は ille の古い綴り(Archaic)。ollīs は olle の性別無し・複数・与格(〜にとって)または奪格(〜において)。ここでは与格。
salūs -ūtis, f 安全
salusは第3変化名詞salūsの主格(〜は)または呼格(〜よ)
populus -i, m 国民
poluliは第2変化名詞polulusの男性・単数・属格または複数・主格(呼格)
suprēmus -a(女性) -um(中性), adj(形容詞) superl(最上級の)最上の
supremaは第1・第2変化形容詞suprēmusの女性・単数・主格(呼格)または奪格、中性・複数・主格(呼格)または対格
lex lēgis(属格),f 法
lexは第3変化名詞lexの女性・単数・主格(呼格)
sum esse(不定法) fuī(分詞), intr(自動詞)〜である
estoは不規則動詞sumの命令法・能動態・未来・二人称(三人称)・単数
【逐語訳】
Ollis(〜にとって)salus(安全は)populi(国民の)suprema(最上の)lex(法は)esto(〜である必要がある).
【訳例】
彼らにとって国民の安全は最上の法でなければならない。
(古典に親しむ)
コロナ感染から復帰したイギリス首相ボリス・ジョンソン氏が「新たなモットー」として表明した言葉から。キケロー「法律について」第3巻8節の一節でした。たまたま、「キケロー選集8」(岡道男訳、岩波書店)が手元にあったので読んでみました。
「人民の福利を最高の法とせよ」は法学では良く知られた言葉のようですが、私などは当然、初めて聞く言葉でした。
キケローの「法律について」は「国家について」と対をなす著作で、理想の国家としてのローマ国家において、キケローの考える「自然の法」がどのように実現されるべきかを論じています。
「自然の法(lex naturae)」とは、「正しい行いを勧め、過ちを思いとどまらせる力」で、天地を守り支配する神ユッピテルと同じ世代に属するもの、つまり国民や国家の年代より前から存在する普遍的な法であると考えます。
で、理想国家ローマは、これを成文化した法律(書かれた理性)によって治められるべきであって、たとえ現実に存在する法律であっても、この性質をそなえていないものは、決して法律ではないとするわけです。
3節は、官職に関する法律を論じていますが、戦地において最高の権限を持つ、執政官らといえども、「国民の安全が最高の法律でなければならない」と、今回の名句のくだりとなりました。
ボリス・ジョンソン氏は家庭でもラテン語を話す教養人として知られているそうですが、国民もそれを解するのですから、欧米におけるラテン文化の地位というは、確固たるものがありますね。
日本も、これから憲法改正の動きで、法について深く考えてみる必要があるでしょう。法とは何か、キケローの言葉を頼りに、自分なりに考えてみたいと思いました。