ラテン語な日々

〜「しっかり学ぶ初級ラテン語」学習ノート〜

第7回課題(2020.1.25)

練習問題9-2

Varietās dēlectat.
ウァリエタース・デーレクタト

Cic.N.D.1.22

キケロー「神々の本性について」

Cicero: De Natura Deorum I

 

【語彙と文法解析】

varietās -ātis, f ① 二つ(以上)の色がある[現われている]こと.② 雑多, 多種多様, 変化に富むこと;変種.(以下略)
varietāsは第3変化名詞 varietāsの女性・単数・主格(呼格)。ここでは主格。

dēlectō -āre -āvī -ātum, tr intens ① 喜ばせる, 楽しませる;魅する 〈alqm re〉.② (pass)楽しむ, 喜ぶ 〈re;+inf〉.
dēlectatは第3変化動詞 dēlectōの3人称・単数・現在。

 

【逐語訳】

Varietās(多様性は) dēlectat(〜を喜ばせる). 

 

【訳例】

多様性は(神々を)楽しませる。

 

(古典の鑑賞)

キケロー「神々の本性について」第1章22節の一節でした。今回は『キケロー選集11』(山下太郎、五之治昌比呂訳 岩波書店)を図書館で借りてきて読んでみました。今回も山下先生のご翻訳です。

「神々の本性について」は『善と悪の究極について』『トッスクルム荘対談集』などキケロー晩年の一連の哲学書のひとつ。この世界の真理や人間のあるべき姿を考えるのに、「神」という概念は軽々に扱えない、重い課題ですね。

そのためか、キケローはこの作品では、神についての自身の見解を示すかたちはとらず、「神々の本性にかんする哲学者の諸説を披露」することで、これを読む人が、神についての自身の見解に疑問の目を向けるよう促した、ということらしいです。

作品は、当代随一のエピクロース派の学者ウェッレイウス、ストア哲学研究の第一人者バルブス、キケロー自身が信奉するアカデーメイア派の論者コッタという、いずれ劣らぬ哲学の権威の対談として書かれています。

私も哲学好きなのですが、第1章を読んでみて、ウェッレイウスが、ギリシャの自然哲学者らを割と手厳しくバッサリと切り捨てているのは意外でした。エピクロス自身も、誰の教えも受けていないと豪語していたらしいので、こうしたところも、独りよがりな議論を嫌うキケローの気に済まないところなのかな、と思いました。

哲学的には、まず「宇宙の起源」を問い、何ものも「有らぬもの」からは生まれないと主張するエピクロス派のウェッレイウスは、永遠の時間の中で、神は、何故あるとき突然思いたって「宇宙を星座や光で飾ろうと」欲したのか、と問います。

で、それまで暗黒の中で暮らしていた神が、どうして、「天地を彩るさまざまな装いに心を楽しませるようになった」(山下訳)のか、と今回の課題のくだりとなりました。

 

以下は、前後の文を逐語訳です。

<逐語訳>

Si(もし…ならば), ut(〜するために) [deus](神は) ipse(自ら) melius(よりよく) habitaret(居住する),

antea(であれば、それより前は) videlicet(〜は自明である) tempore(時の中で) infinito(無限の) in(において) tenebris(暗闇) tamquam(〜のように) in(における) gurgustio(あばら屋) habitaverat(住んでいた).

Post(その後) autem(ところで): varietatene(多様性によって+〜のか) eum(彼は) delectari(楽しまされる) putamus(と我々は考える),

qua(ところのそれ(多様性)によって) caelum(天) et(と) terras(地) exornatas(飾られている) videmus(のを私たちが見る)?