ラテン語な日々

〜「しっかり学ぶ初級ラテン語」学習ノート〜

第30回課題(2020.6.20)

練習問題30-2

Rīdētur, chordā quī semper oberrat  eādem.

Hor.A.P.356
ホラーティウス「詩論」

Horace: Ars Poetica

 

【学習課題】

代名詞2・その他 関係代名詞

 

【語彙と文法解析】

rīdeō -ēre(不定法)rīsī(完了形)rīsum(目的分詞), intr(自動詞), tr(他動詞) ① 笑う.(以下略)
rīdētur は 第2変化動詞 rīdeō の直接法・受動態で、三人称・単数・現在。

chorda -ae, f ① (弦楽器に用いる)腸線.② ひも, 綱 (以下略)
chordā は 第1変化動詞 chorda の女性・単数・奪格。

quī quae(女性)quod(中性), pron(代名詞), adj(形容詞)
Ⅰ (adj interrog 疑問詞) ① どの, 何の, どのような ② (感嘆)何という. Ⅱ (pron relat 関係代名詞)Ⓐ (+ind 接続法)① (事実関係)...するところの(人・もの)(以下略)
quī は関係代名詞 quī の男性・単数または複数・主格。ここでは単数。

semper adv 常に, いつでも

oberrō -āre(不定法)-āvī(完了形)-ātum(目的分詞), intr(自動詞) ① 歩きまわる, ぶらつく.(中略)④ 誤る, 間違える.
oberrat は 第1変化動詞 oberrō の直説法・能動態で、三人称・単数・現在。

īdem(男性)eadem(女性)idem(中性), pron(代名詞), adj demonstr(指示形容詞)Ⅰ (adj)同じ, 同一の, 同様の.Ⅱ (pron)同じ人[もの], 同様のもの
eādem は指示形容詞 īdem の女性・単数・奪格で、chordāにかかる。

 

【逐語訳】

Rīdētur(笑われる), chordā(弦において)quī(〜のところの者は)semper(いつも)oberrat(間違える)eādem(同じ).

 

【訳例】

いつもちょうど同じ弦で間違える者は笑われる。

 

(古典の鑑賞)

ホラーティウス「書簡詩」第二巻第三歌(詩論)の一節でした。今回は『アリストテレース 詩学ホラーティウス 詩論』(松本仁助・岡道男訳、岩波文庫)を図書館で借りてきて読んでみました。また、鈴木訳、高橋訳も手元にあったので、参考にしました。

「詩論」の名で知られている(らしい)この作品は、上記の文庫の前半のアリストテレスによる「詩学(試作の技術について)」のような「論」ではなく、書簡の形式で書かれていて、鈴木氏も、「その内容は教訓めいた所があると思えば、文学史となり、更に詩形の吟味から、人生の描写へと唐突に変わって行く。その乱雑な文章から、全編を貫く主張を求めるならば、文学−あるいは広く文芸−に対する「穏健中立」な思想であろう」と解説されていました。

もともと poiēsis(詩作)の語源であるギリシャ古語の「ポイエーシス」は、ものを「作ること」の意だったと聞くと、なるほど、ホラーティウスの平明な語り口による、詩作論、演劇論、作家論が、詩や劇を愛する人々だけでなく、ものづくりに携わる人、また、その示唆に富んだ人生訓に魅了された一般の読者など、後世に与えた影響の大きさも、わかるような気がいたします。

「詩論」は大きくわけて、(1)詩作の一般原則、(2)演劇に関するメモ、(3)作家論から構成され、高橋訳、鈴木訳には、更に内容に即した区分(小見出し)が挿入されています。

今回の課題文は、作家論の後段、高橋訳では「許容の限界」、鈴木訳では「作家の誤りについて」の文脈のくだりでした。以前、フジ子・ヘミングが何かで「少しくらい間違ったっていいのよ。機械じゃあるまいし」と語ったと伝えられていますが、一流のピアニストならではの逆説で、ホラーティウスの「許容の限界」を示した名言のように、私には思えました。