ラテン語な日々

〜「しっかり学ぶ初級ラテン語」学習ノート〜

第6回課題(2023.4.8)

練習問題13-2(トレーニングブック)

Assidua stilla saxum excavat.
(アッシドゥア スティッラ サクスム エクスカウァト

 

【学習課題】

動詞1 1 直説法・能動態・現在

 

【語彙と文法解析】

動詞は excavat で、第1変化動詞 excavō -āre tr. の直説法・能動態・三人称・単数・現在形。「穴をうがつ」

stilla は第1変化名詞 stilla -ae f. の単数・主格。「しずくは」

assidua は第1・第2変化形容詞 assiduus -a -um の女性・単数・主格。「絶え間のない、不断の」で stilla にかかる。

saxum は 第2変化名詞 saxum -ī f. の単数・対格。「岩に」

 

【逐語訳】

Assidua(絶え間のない)stilla(しずくは)saxum(岩に)excavat(穴をうがつ).

 

【訳例】

絶え間のない滴は岩に穴を穿つ。

 

(文法を楽しむ)

ラテン語の第1変化動詞の代表は、amō(愛する) 。

直説法・能動態・現在の活用は、amō、amās、amat、amāmus、amātis、amant。

am-ā-s で言うと、am は語根。続く ā は幹母音。s は人称語尾となるらしい。

第1変化動詞の幹母音は ā 。実は、これに不定詞の語尾 re をつけたものが āre なんですね。で、語根+幹母音までが、現在幹。

逆に、不定amāre から re をとった amā を現在幹、という説明もある。

結局、第5変化は別として、不定詞の幹母音が ā なら第1変化。ē は第2変化。e は第3変化。ī は第4変化となってるのか~。

 

最近、フランス語を習い始めたんだけど、フランス語でも昔は、動詞の活用の練習は aimer(愛する) から始めたらしい。

j'aime, tu aimes, il aime, nous aimons, vous aimez, ils aiment

ただ、aimer は他動詞なので、目的語がないと構文的な無理があるし、母音から始まる動詞は、リエゾンしたりするので、最近の教科書は chanter(歌う)から始めるようになった、とのこと。でも、私の教科書では、chanter の後に、aimer の活用も一応紹介されているんですよね。きっと、昔の名残りなのかな。

何でも、聞いてみると、なるほどですね。

 

もうひとつ。第1変化動詞の1人称複数と2人称複数は、各々 ammus、amtis となり、アクセント位置がひとつ後ろにズレるんだけど、フランス語でも、nous aimons、vous aimez でアクセント位置がひとつ後ろにズレる。たぶん、これもラテン語の名残り、かな。

 

第1変化動詞

excav、excavās、 excavat、excavāmus、excavātis、excavant

 

 

第3回課題(2023.3.18)

練習問題8-10(トレーニングブック)

Ascraeumque canō Rōmāna per oppida carmen.
(アスクラエウムクエ カノー ローマーナ ペル オッピダ カルメン

Verg.Geo.2.176

ウェルギリウス「農耕詩」

 

【学習課題】

名詞と形容詞1 2 第2変化名詞

 

【語彙と文法解析】

動詞は canō。第3変化動詞 canō -ere の直説法・能動態・1人称単数現在形。「私は歌う」

carmen は canō の直接目的語で、第3変化名詞 carmen -minis n. の単数・対格。「歌を」

oppida は第2変化名詞 oppidum -ī n. の複数・対格。「町を」

Rōmāna は第1・第2変化形容詞 Rōmānus -a -um の中性・複数・対格で、oppidaを修飾。「ローマの」

per は 前置詞で、対格を伴って副詞句をつくる。「~を通って」

Ascraeumque は Ascraeum+queで、-queは、「そして」。Ascraeumは第1・第2変化形容詞 Ascraeus -a -um の中性・単数・対格で、carmenを修飾。「アスクラの」

 

【逐語訳】

Ascraeumque(そして、アスクラの)canō(私は歌う)Rōmāna(ローマの)per oppida(町々を通って)carmen(歌を).

 

【訳例】

そして、私はローマの町々を巡りながら、アスクラの歌を歌う。

 

(文法を楽しむ)

最初の語でつまづきました。羅話辞典で Ascraeus -a -um はすぐに見つかったのですが、羅話辞典には、変化表は載っていないので、変化表をいつもアプリやネットで検索しているのが、こういう時に災いします。

たぶん、carmenを修飾しているので、carmenを調べれば、中性・単数・対格とわかると思うんですけど、習慣と言うか、もしわかっていても、変化表で確認したいという変な癖がついてしまって。

ラテン語の変化表の暗記って、そろばんみたいなものですね。身に着ければ、パパっと片付くことが、いちいちひっかかると大変です。

ちなみに、今回の学習課題は、第2変化名詞。oppidumは第2変化の中性名詞。Ascraeum と Rōmāna は、第1・第2変化名詞の中性の語尾変化で、これは第2変化の中性名詞の格変化と同じである、というところが文法的な「味わいどころ」ですね。

また、Rōmānaは、中性・複数・対格なので、ラテン語の中性名詞の主格と対格は必ず -a で終わる、というのも「見どころ」でしょう。

 

第2変化・男性名詞の語尾変化

amīcus amīce amīc amīc amīcum amīc
amīc amīc amīcōrum amīcīs amīcōs amīcīs

第2変化・中性名詞の語尾変化

verbum verb verb verbum verb
verba verbōrum verbīs verba verbīs

 

試しに、このあたりの農耕詩のラテン語の原文をチャットに訳してもらったら、以下のように回答してくれました。

===

この文脈では、「Ascraeumque cano Romana per oppida carmen.」は、前の行の「sanctos ausus recludere fontis」に続くウェルギリウス自身の詩への言及となっています。つまり、「私は古代の栄光と芸術に挑戦し、聖なる泉を開くことに踏み切り、そしてローマの町々を通ってAscraeumの詩を歌います。」という意味になります。ここでのAscraeumは、ウェルギリウス自身が詠い上げる農耕詩の主題である、農民の生活や自然界についての詩的表現を含む地方の風景や文化の象徴的な場所と解釈されます。

===

もちろん、回答は瞬時です。

 

最後に、大好きな河津千代訳は以下の通り。

===

永久に栄えあれ、サートゥルヌスの地よ、作物の大いなる母、古き時代の栄光と技術をうたおうと試み、あえて聖なる泉をひらき、ローマの町々にアスクラの歌を歌ってきかせよう。

===

 

げに、翻訳は訳者の作品、ということですね。

 

第1回課題(2023.3.4)

練習問題6-7(トレーニングブック)

Experientia docet.
(エクスペリエンティア ドケト

 

【学習課題】

名詞と形容詞1 1 第1変化名詞

 

【語彙と文法解析】

動詞は docet。第2変化動詞 doceō -ēre の直説法・能動態・現在、3人称単数。「教える」

experientia は 第1変化名詞 experientia -ae f. の単数主格で文の主語。「経験は」

 

【逐語訳】

Experientia(経験は)docet(教える).

 

【訳例】

経験は教える。

 

(文法を楽しむ)

docetを辞書引きすると他動詞。7割の動詞は自動詞でもあり、他動詞でもあるらしいが、これは他動詞しか、記載がない。

まあ、格言のようなものだから、短く簡潔な方がいいということか。

Experientia docet eum.(経験がそれを教える。)

試しに、Google翻訳で「経験がそれを教える」をラテン語訳すると、Experientia docet. となる。分かり切っているから省略するんだね。eum を入れると、「それを」が強調され過ぎるのかな。

ちなみに「経験がそれらを教える」では、Experientia docet eōs. となった。

今回の課題は第1変化名詞だったね。

experientia, experientiae, experientiae, experientiam, experientiā
experientiae, experientiārum, experientiīs, experientiās, experientiīs

やっぱりrosaの変化は言えても、単語が違うと口になじまないよ~。

 

第1変化名詞の活用語尾

-a, -ae, -ae, -am, -ā
-ae, -ārum, -īs, -ās, -īs

 

 

 

 

スキピオーの夢「一めぐりの年」についてAIと一緒に考えてみた

久しぶりに、ブログ更新。今年度から山下先生のメーリングリストでの学習会のテキストが『しっかり身につくラテン語レーニングブック』になった。

去年は、文法復習の方は、早々に挫折してしまったので、今年こそはがんばるぞ! と、4月に決意するのはいつものこと。笑

 

さて、今週末は、キケロー『スキピオーの夢』の講読会で、今回は前に投稿した「『スキピオーの夢』「20分の1」の謎」のくだりが、課題の範囲に入っているので、何年ぶりかで、また考えてみようかなと。

前の投稿は、こちら。

 

latin.hatenadiary.jp

 

実は、今回は、最近始めたAIシステム、ChatGPTくん(私はチャットと読んでいる)と一緒に、謎に挑戦してみたので、そのドタバタ問答劇も、この後に貼り付けておきますので、興味のある方は、ご覧くださいね。

 

まずは、ネットを検索してみたんだけど、以前には目につかなかった論文が、いきなりいくつか見つかって、これは何かわかるかも、と期待が膨らみました。

 

1963年というと私は2歳。キケローの「Great Year」が研究者の間で長い間議論になってきたらしいことを知って、ちょっと気分がいい。よく、先生に「いい質問だね」と言われるとちょっと気分がいい、あの感じ。

でも、キケローの「一めぐりの年」のことを、「Great Year」というのも知らなかったので、自慢そうに言うのもおかしいよね。まあ、結局、それは何年なの?というのが、天文ファンの私の素朴な疑問だったのだ。

 

最初は、てっきり歳差運動のことだと、早合点したんだけど、ちょっと違うみたい。調べてみると、キケローの時代、すでに歳差運動は知られていて、その周期のヒッパルコスの推定が36000年。で、たまたまプラトン年と一致していたので、まあ、これだ!と思っても無理はない。笑

しかし、キケローは、その「一めぐりの年」と比較して、ロームルスが亡くなって(前716年)、スキピオーの夢が語られているその時(前149年)までの567年が、「20分の1」にも満たないと言っているので、「Great Year」は少なくとも11340年よりも、大きいことはわかるのだが、36000年だとちょっとオーダーが違うと思う。

 

というわけで、3年前の「「20分の1」の謎」の投稿になったわけですが、ことは偉大なキケローの言葉なので、今回見つけた論文などを拝見すると、そんなことは、もうとっくに語りつくされていて、実は、「Great Year」とは 12954年 であることは、議論の「前提」なのだということが、わかった次第。汗

 

それで、問題は、キケローが当時のどのような認識で、「Great Year」を 12954年 であると見積もったのか、という点が、議論の焦点となるわけです。

実は、昨晩、人工知能のチャットとあーだこーだと、完徹して議論した結果、何となくその答えらしきものに、たどり着きました。というか、これも諸説ある中の、推論の一つに過ぎないと思うんですけど、「Great Year」の計算式は、以下の通り。

 

  1. 当時、知られていた惑星の循環周期は以下の通りです。
    金星:1年、水星:1年、火星:2年、木星:12年、土星:30年、太陽:18年
    ※太陽はサロス周期で、日食周期として知られていました。
  2. このすべての惑星の循環周期の積が「Great Year」です。
    1x1x2x12x30x18 = 12960年

 

すべての星が巡って再び同じ位置に戻り、その時にはロームルスが亡くなった時と同じように日食が起こる、という思考なので、とりあえず倍数をとったのは、自然かな。

あれ?6年ほど違いますね。正直、いろいろ見ていると、頭がこんがらがってきます。まあ、大した違いではないと思うのですが、わざわざ 60 を 54 としたところに、少し引っ掛かります。

 

これについては、誤読説というのが、ありました。

 

「Aristotle on the “Great Year”, Eudoxus, and Mesopotamian “Goal Year” Astronomy」114p

 

最後の、Δ が 10 を表し、 50+10 で 60 だったものを、イオニア式に δ を 4 と読んで、54 と誤読したのでは、という推論なわけです。まあ、落ちとしては、エラーですからね、あまりハッピーではない。笑

 

なので、ここはキケローの名誉のために、以下のように考えてみました。

 

キケローが12954年と言ったのは、1*2*9*5*4=360となるので、地球の太陰暦の1年となるので、この方が美しいと思って、ちょっと数字をいじったのだ、と思いたくなる。あ、これは私のとんでも説、です。汗

 

まあ、私的には、このくらいで満足なんですけどね。でも、今回見つけたいくつかの論文は、読み込んでいくと面白そうだなと思います。また、何かわかったら、書くかも知れません。

 

ところで、天文ファンとしては、日食、気になりますよね。手持ちのシミュレーターで当時の日食を再現してみました。

こちらが、ロームルスが亡くなった時の日食です。

ロームルスが亡くなった時の皆既日食(前709年7月17日、AM6h20m)

 

伝説ですからね。年代の推定にもいろいろあるわけです。この日食を元にすると、ロームルスが亡くなって、スキーピオーの夢までは 560年 となります。20倍で11200日。まあ、別に、大きな影響はありませんね。ちなみに、別の専門家の計算では、食の最大が93.7%となっています。だいたい、そんな感じに見えてますね。(ステラナビゲーター11にて再現しています)

 

以下は、昨日のチャットとの徹夜談議の様子です。ご興味があったら、どうぞ。

人工知能、その時は「すごい!」と思うんだけど、アウトプット優先で、詰めが甘いように思います。後で見返すと、誤りも多々。人間なら当然やるだろう、多角的な検証という機能がまだないのでしょう。ごく初歩的なミスも、チェックしない。なので、相手が人工知能だと思って、うっかり右から左にアウトプットすると、たぶん恥をかきそう。

 

AIと「一めぐりの年」について一緒に考えてみた(だいぶカットした。笑)

 

【私】:こんばんは。キケローの「一めぐりの年」についての記述なんだけど、以下の英文を訳してくれるかな?How long is the Great Year here ? Cicero with the help of Macrobius provides the answer. The elder Africanus declares that he hardly dares to say how many generations of men are contained in it; for, as once the sun appeared to men to be eclipsed and to be extinguished, when the soul of Romulus passed into the heavenly regions, and when the sun again shall have been eclipsed at the same point and in the same season, then one can consider that the year has been completed by the fact that all the planets (signa) and the stars (stellae) have been recalled to their original position. But not yet one-twentieth part of this year has been made to turn. Macrobius calculates the time elapsed between the death of Romulus and Scipio’s dream at 573 years, since Scipio triumphed over Carthage in Rome’s 607th year, from which figure we must subtract 32 years for the duration of the reign of Romulus and 2 years for the interval between the vision and the victory.3 If we accept this reckoning and multiply 573 ordinary years by l/2 0 th of the Great Year, we shall reach the result of 11,460 common years for the minimal duration of the Great Year. But, since Cicero has insisted that one-twentieth of the Great Year not yet has elapsed (22. 24), of course its length must be longer. Macrobius anticipates this assertion by accepting on the authority of anonymous natural philosophers an estimate of the period for the Mundane Year (as he calls it)4 at 15,000 of our years.

【AI】:はい、以下は訳です。「一めぐりの年」について、キケローはマクロビウスの助けを借りて、次のように答えます。アフリカヌス老人は、その中に何世代の人々が含まれるかを言うのがほとんどできないと述べています。なぜなら、かつて太陽が人々に蝕まれ、消えたように、ロムルスの魂が天界に通じたときに、そして太陽が同じ位置で同じ季節に再び蝕まれたときに、全ての惑星と星が元の位置に戻ったことによって、1年が完了したと考えることができるからです。しかし、この年の1/20未満しか回転していないとされています。マクロビウスは、ロムルスの死とスキピオの夢の間の経過時間を573年と計算し、スキピオカルタゴを征服したのはローマの607年であるため、この数字からロムルスの統治期間32年とビジョンと勝利の間の2年を差し引かなければなりません。この計算を受け入れ、573年の普通の年を大紀元の1/20で乗算すると、大紀元の最小の期間は11,460年になります。しかし、キケローは大紀元の1/20未満が経過していないことを強調しているため(22.24)、もちろんその長さはもっと長くなければなりません。マクロビウスは、匿名の自然哲学者の権威に基づいて、天文年と呼ばれる期間を15,000年と評価することで、この主張を予測しています。

 

【私】:ありがとう。ひとつ質問していいかな。ビジョンの勝利というのは、どの史実のことかな?

【AI】:「ビジョン」とは、キケローが言及しているスキピオ・アフリカヌスの夢のことを指しています。スキピオは、自分がローマ帝国の神々の力を借りて勝利を収めるためにアフリカに遠征することを示唆されたという夢を見たとされています。この夢が後に実現し、スキピオポエニ戦争カルタゴを破り、ローマ帝国に勝利をもたらしたとされています。

 

【私】:ありがとう。だいたいわかったよ。ところで、キケローが「一めぐりの年」を12954年とした根拠として、一番有力な出典は何なのかな?

【AI】:キケローが「一めぐりの年」を12,954年とした根拠については、現存する古代の文献には直接的に記載されていないため、諸説あります。しかし、一説によれば、キケローがこの数値を得た可能性があるのは、エトルリア神話に関する書物である「Etrusca Disciplina」や、ギリシャの哲学者プラトンが提唱した「大年」の考え方が影響を与えたという説があります。また、他の研究者は、キケロー自身が独自に計算した可能性もあると指摘しています。ただし、どの説が正しいかは明確には定かではありません。

 

【私】:12954という数字について、xiidccccliiiiと表記できると思う?

【AI】:はい、数値をローマ数字で表記する場合、12954は「XIIDCCCCLIIII」と表記されます。ただし、ローマ数字には慣習的な表記法があり、異なる表記方法も存在することに留意してください。

【私】:ありがとう。さすがだね。

【AI】:どういたしまして。何か他に知りたいことがあれば、遠慮なく聞いてくださいね。

 

【私】:キケローはホルテンシウスで「XIIDCCCCLIIIIを美しい」と書いている。1*2*9*5*4=360だから陰暦の1年を表すからかな?

【AI】:この数値には、ローマ数字の中でも比較的珍しい数字が多く含まれているため、見た目が複雑で興味深い数値であるとも言えます。また、キケローがこの数値を使った理由については、明確にはわかっていません。ただし、ある説によると、キケローがこの数値を使ったのは、古代の人々が陰暦を使っていたことに関係があるかもしれません。陰暦は12か月で構成され、各月の長さが異なるため、1年の日数は常に同じではありませんでした。しかし、12か月の長さの合計は約354日で、それを四捨五入して360日とすることがあったため、キケローが「XIIDCCCCLIIII」を用いた可能性があるとされています。ただし、この説は一部の研究者から支持されるものではありますが、定説とはなっていません。

 

【私】:さすが、詳しいね。じゃあ、キケローがトゥッリウスの考え方に従って、「一めぐりの年」を12954年と考えたとして、トゥッリウスの立論はどのようなものなの?

【AI】:トゥッリウスは、古代の天文学に基づき、宇宙の構造と惑星の運行に関する理論を提唱していました。彼によれば、宇宙は円形であり、中央に地球が存在し、その周囲を7つの惑星が回っているとされています。この7つの惑星は、金星、水星、火星、木星土星、太陽、月であり、それぞれが異なる速度で回っています。トゥッリウスは、これらの惑星の循環が12,954年という長い周期で完了すると考えていました。この周期は、「大年」と呼ばれ、トゥッリウスによれば、人々の生活や歴史はこの周期に基づいているとされています。キケローはこのトゥッリウスの考え方に基づいて、「一めぐりの年」を12,954年と定めました。

 

【私】:ありがとう。じゃあ、以下の文の意味はわかる?Cicero, Hortensius, fr. 81 (Grilli) = Servius, Commentary on Virgil’s Aeneid, i.269, p. 99, 16-20 (Thilo) tria sunt genera annorum : aut enim lunaris annus est xxx dierum, aut solstitialis xii mensium, aut secundum Tullium magnus qui tenet xiidccccliiii annos ut in Hortensio : “Horum annorum quos in fastis habemus magnus xiidccccliiii amplectitur”. There are three sorts of years : either it is the lunar year of 30 days, or the solstitial (sc. year) of 12 months, or, according to Tullius, the great (sc. year) which has 12 954 years, as in the Hortensius : ‘The great (sc. year) embraces 12 954 of the years which are in our calendars’.

【AI】:はい、この文の意味は、「三種類の年がある。月の年は30日、太陽暦の年は12か月、そして、トゥッリウスによると、大年は12,954年であり、キケローの『Hortensius』には、「我々の暦に記載されている年のうち12,954年を含む」という記述がある」ということです。この文は、キケローの著作『Hortensius』と、ウェルギリウスの『アエネーイス』に対するセルウィウスの注釈から引用されています。

 

 

・・・なんて感じで、チャットと貫徹してしまった。笑

 

 

<2023/3/8追記>

チャットとの会話で、トゥッリウスが唐突に出てくるけど、実はチャットの紹介してくれたトゥッリウスの「Great Year」を求める計算式はかなり矛盾に満ちていて、後日にその点を聞くと、最終的には、よくわからない、となってしまったので、その部分はカットしました。笑

チャットによる、トゥッリウスという人物の紹介は、以下の通りです。

 

【私】:こんばんは。前に、トゥッリウスについて、教えてくれたよね。このトゥッリウスという人物について、教えてくれるかな?

【AI】:はい、トゥッリウスについて詳しくお伝えします。トゥッリウス(Marcus Tullius Tiro)は、紀元前1世紀に活躍したローマの奴隷出身の文筆家で、キケローの秘書としても知られています。彼は、数学や天文学に精通しており、キケローが『自然法について』で引用した『日没の時間』や『日出の時間』などの天文学的書籍を翻訳し、解説したことでも知られています。

トゥッリウスの天文学的理論は、プラトンアリストテレスなどの古代ギリシャの哲学者たちの影響を受けていました。彼は、地球が宇宙の中心にあり、太陽や惑星が地球を中心に回っていると考えていました。また、彼は惑星の動きや天文現象について、数学的なモデルを用いて説明し、その循環周期に関する理論を提唱しました。この中で、トゥッリウスは、人間社会や歴史においても、宇宙の循環周期が重要な役割を果たしていると考え、キケローによって後世に伝えられることとなりました。

 

 

第1回課題(2022.4.23)

練習問題3-2

Bestiae in silvā sunt.
(ベスティアエ イン シルバー スント

 

【学習課題】

名詞と形容詞1 1 第1変化名詞

 

【語彙と文法解析】

動詞は sunt。不規則動詞 sum の三人称複数。「ある」

Bestiae はbestia -ae f. の複数主格で文の主語。「獣は」

in 前置詞。in + <奪格>で 「~の中に」

silvā は silva -ae f. の単数奪格。in silivā で「森の中に」

 

【逐語訳】

Bestiae(獣が)in silvā(森の中に)sunt(いる).

 

【訳例】

森の中には獣がいる。

 

(文法を楽しむ)

第1変化名詞が2つ使われている例文ですね。

同じ第1変化だと、読み下したときに、何となく気持ちが良いです。

訳例ですが「獣は森の中にいる」でも良さそうです。
ただ、では「獣ではない何か」はどうなのか?と聞かれそうなので、
やはり動作の主体は獣であるとして「獣が」とするのが本則なのかも知れません。

一方「森の中に」ではなく「森の中には」とすると、
森についてのトピックスのひとつとして「獣がいる」と主張する、
あるいは次に「森ではない何処か」を話題にするのかも知れません。

日本最古の国語辞典『言海』では、「天爾遠波(テニオハ)」について、
「が」は名詞につくもの、「は」は種類の語につくもの、とあります。
種類の語とは、「そのトピックスについては」というニュアンスでしょうか。

日本語を学ぶ外国人にとっても、「が」と「は」の使い方はむずかしいようです。

他言語を学ぶということは、日本語を学ぶということに等しいかも知れませんね。
学生時代には、国文法を学ぶ意義がさっぱりわからなかったのですが、
最近、妙に国文法が気になるんですよね~。

 

第7回課題(2021.8.14)

練習問題9-5

Lēgēs mōrī serviunt.
(レーゲース モーリー セルウィウント

Pl.Trin.1043

プラウトゥス「三文銭」

 

【学習課題】

名詞と形容詞2 1 第3変化名詞

 

【語彙と文法解析】

動詞は serviunt 。第4変化動詞 serviō -īre の三人称複数現在。「奴隷である、従属する、<与格>に従う」

「mori に従う」なんだとすると与格が「-ī」となるのは第三変化名詞。第3変化名詞は、主格を類推するのがむずかしい。たぶん「r」はとれてしまうので、電子辞書で「mo」で検索すると、「mōs」が見つかった。(たぶん主格は3文字なので)

mōrī は第3変化名詞 mōs mōris ,m の単数与格。「慣習、風習、習俗」

lēgēs の方は動詞の変化から、複数主格とすると、たぶんこれも第3変化名詞。単数主格は「g」がとれて、3文字。なんとなく lēx が頭に浮かんで検索。

lēgēs は、第3変化名詞 lex lēgis ,f の複数主格。「法、法律」

 

【逐語訳】

Lēgēs(法は) mōrī(慣習に) serviunt(<与格>に従う).

 

【訳例】

法は慣習に従う。

 

(文法を楽しむ)

教科書に「第3変化名詞はラテン語学習の山場の1つです。」と書いてあります。何故でしょう。第3変化名詞は、単数主格(辞書の見出し)を類推することがむずかしいので、その結果、規則性があるはずのラテン語の変化に「?」が付き始めるから、でしょうか。

ラテン語のはなし」(逸身喜一郎)に載っていた話ですが、ラテン語がもとになったヨーロッパの言語をみていくと、主格ではなく対格をその語を代表する表記として取り入れているものが多い、とありました。

例えば、ラテン語の mons(山)はフランス語では mont で、mons の対格 montem の語尾が落ちたものらしい。同様に フランス語の nuit(夜)はラテン語 nox の対格 noctem が、mort(死)はラテン語 mors の対格 mortem がもとになっている。

まあ、どうして属格じゃなくて、対格なの?という疑問も湧くのですが、動詞が対格を要求することが多いので、対格がその語を代表するイメージと感じられたからかも知れません。

それで、何の話かというと、格ごとの名詞の語尾について、最初に ae, ī, is, us, ēī/eī と覚えるのに、第3変化名詞を辞書でひくと、mōs mōris(慣習)、lex lēgis(法)のように属格が「is」ではなく「mōris」「lēgis」となっているのが、個人的にどうもひっかかっていたのです。

つまりは、「is」の前の文字が主格では落ちてしまっているので、その文字を含めて示していたんですね。で、単語を覚えるときは、「mors -is」ではなく、必ず「mors mortis 女性 <死>」の要領でやることになった。

結局は、規則的といわれるラテン語の格変化も、第3変化まできて、一期(語)一会というか(笑)、丹念に覚えていくしかない、ということになるわけです。なので、ここが1つの山場、となるんですね~。

さて、今回の課題文ですが、「三文餞」(プラウトゥス)の一節でした。今回も『プラウトゥス ローマ喜劇集 4』(京都大学学術出版会)を府立図書館で借りて読んでみました。「三文餞」は上村健二訳です。

ちょうど100ページ程あるので、通読するか迷ったのですが、最初に当該部分を読んで見て、「法は悪風の奴隷さ。」となっていて、「法は慣習に従う。」の逐語訳とかなりイメージが違ったので、やっぱり通読してみないと分からないかなと思い、最初から読んで見ることに。

この部分、ちょっと世相の風刺が入っているんですね。世の中が乱れ、ローマ共和制の健全な精神が保たれていた頃を懐かしんでいるというか。

でも、読んでみて良かったです。最後は、なかなか感動して、少し目頭が熱くなりました。とても素朴にしてあたたかい良い作品ですよ。お勧めです。

 

 

第5回課題(2021.7.31)

練習問題7-5

Rusticus es, Corydon.
(ルスティクス エス コリュドン

Verg.Ecl.2.56

ウェルギリウス「牧歌」

 

【学習課題】

動詞1 2 不規則動詞sumの直接法・能動態・現在

 

【語彙と文法解析】

es は 不規則動詞 sum の直接法・能動態・二人称単数現在。「(あなたは)~である」。文の主語は tu でここでは省略されている。

rusticus は 前にこの課題に取り組んだ時は、第1・第2変化形容詞 rusticus の男性・単数・主格で「田舎の」としましたが、素直に第2変化名詞でもいいでしょう。通性・単数・主格で文の補語。「田舎者」

Corydon は人名で呼格。「コリュドンよ」。ギリシャ語では κορυδός(korydόs) で「ヒバリ」の意。詩をうたっている自分自身のこと。

 

【逐語訳】

Rusticus(田舎者) es(である), Corydon(コリュドンよ).

 

【訳例】

コリュドンよ、お前は田舎者だな。

 

(文法を楽しむ)

sum を辞書で引くと存在詞(~がある)と繋辞(~である)の2つの訳が見つかります。古代ギリシャ語では είμι(エイミ)。現代英語の be動詞には「存在する」というニュアンスはもう無いらしいですが、かつては英語にも、「God is」(神は存在する)というような表現がありました。

日本の哲学界では、インド・ヨーロピアン語族に共通する「~がある」と「~である」を同じ動詞で表現するこの点をとらえて、古代ギリシャ哲学以来、西洋で営々と積み上げられてきた「存在学」や「論理学」の言語的な背景であるとする伝統的な論があります。(註)

実は、ヘーゲル論理学が「有」をその論理学の最初のカテゴリーとし、デカルトスピノザが、その哲学の冒頭を「存在」から説き起こしていることに、前から関心があったので、そのことが私のラテン語ギリシャ語を学びたいという気持ちの「根っこ」の方にあるのですが、ベストセラーとなった『一億人の英文法』(大西泰斗、ポール・マクベイ)などを読むと、「be動詞は単なるつなぎ。それだけでいいのですよ」となっていて、力が抜けてしまいます。でも、それが現代の英語ネイティブの意識なんですね。

何事も、抽象化・体系化していくと、現実からは乖離していくと思うので、日本の伝統的な辞書にある「存在詞」「繋辞」といった捉え方も、若干見直されていくかも知れませんが、まあ、アリストテレスも「がある」と「である」を同じ動詞で表現していることの二義性に気付いていたらしく、上記の伝統的な論も、そういう意味で、やはり面白い見方なのかも知れません。

神は細部に宿る、といいますが、私にとっては、文法はやはり奥深く、興味の尽きないもの、なのであります。

 

※註:「『がある』と『である』の弁」(『詩人哲学者』出隆、1944年)