ラテン語な日々

〜「しっかり学ぶ初級ラテン語」学習ノート〜

第5回課題(2021.7.31)

練習問題7-5

Rusticus es, Corydon.
(ルスティクス エス コリュドン

Verg.Ecl.2.56

ウェルギリウス「牧歌」

 

【学習課題】

動詞1 2 不規則動詞sumの直接法・能動態・現在

 

【語彙と文法解析】

es は 不規則動詞 sum の直接法・能動態・二人称単数現在。「(あなたは)~である」。文の主語は tu でここでは省略されている。

rusticus は 前にこの課題に取り組んだ時は、第1・第2変化形容詞 rusticus の男性・単数・主格で「田舎の」としましたが、素直に第2変化名詞でもいいでしょう。通性・単数・主格で文の補語。「田舎者」

Corydon は人名で呼格。「コリュドンよ」。ギリシャ語では κορυδός(korydόs) で「ヒバリ」の意。詩をうたっている自分自身のこと。

 

【逐語訳】

Rusticus(田舎者) es(である), Corydon(コリュドンよ).

 

【訳例】

コリュドンよ、お前は田舎者だな。

 

(文法を楽しむ)

sum を辞書で引くと存在詞(~がある)と繋辞(~である)の2つの訳が見つかります。古代ギリシャ語では είμι(エイミ)。現代英語の be動詞には「存在する」というニュアンスはもう無いらしいですが、かつては英語にも、「God is」(神は存在する)というような表現がありました。

日本の哲学界では、インド・ヨーロピアン語族に共通する「~がある」と「~である」を同じ動詞で表現するこの点をとらえて、古代ギリシャ哲学以来、西洋で営々と積み上げられてきた「存在学」や「論理学」の言語的な背景であるとする伝統的な論があります。(註)

実は、ヘーゲル論理学が「有」をその論理学の最初のカテゴリーとし、デカルトスピノザが、その哲学の冒頭を「存在」から説き起こしていることに、前から関心があったので、そのことが私のラテン語ギリシャ語を学びたいという気持ちの「根っこ」の方にあるのですが、ベストセラーとなった『一億人の英文法』(大西泰斗、ポール・マクベイ)などを読むと、「be動詞は単なるつなぎ。それだけでいいのですよ」となっていて、力が抜けてしまいます。でも、それが現代の英語ネイティブの意識なんですね。

何事も、抽象化・体系化していくと、現実からは乖離していくと思うので、日本の伝統的な辞書にある「存在詞」「繋辞」といった捉え方も、若干見直されていくかも知れませんが、まあ、アリストテレスも「がある」と「である」を同じ動詞で表現していることの二義性に気付いていたらしく、上記の伝統的な論も、そういう意味で、やはり面白い見方なのかも知れません。

神は細部に宿る、といいますが、私にとっては、文法はやはり奥深く、興味の尽きないもの、なのであります。

 

※註:「『がある』と『である』の弁」(『詩人哲学者』出隆、1944年)