ラテン語な日々

〜「しっかり学ぶ初級ラテン語」学習ノート〜

第35回課題(2020.7.25)

練習問題35-1

Quī dedit beneficium taceat; narret quī accēpit.

Sen.Ben.2.11.2
セナカ「恩恵について」

Seneca: On Benefits II

 

【学習課題】

動詞5 接続法の活用と単文での用法

 

【語彙と文法解析】

quī quae quod, pron, adj
Ⅰ (adj interrog)① どの, 何の, どのような ② (感嘆)何という.
Ⅱ (pron relat)Ⓐ (+ind 直接法)① (事実関係)...するところの(人・もの) Ⓑ (+subj 接続法)① (目的)...するために (以下略)
quī は 関係代名詞で男性単数主格または複数主格。 +直説法のかたちで、〜するところの(人・もの)。

dō dare dedī datum, tr ① 与える, 提供する, 授ける ② (義務として)支払う ③ (力を)注ぐ, ささげる, ゆだねる (以下略)
dedit は 不規則動詞 dō の直説法・能動態・三人称単数完了形で、〜を与えた。

beneficium -ī, n ① 善行, 親切, 恩恵, 好意 (以下略)
beneficium は 第2変化名詞 beneficium の中性・単数・主格(呼格)または対格。ここでは対格で、恩恵を。

taceō -ēre -cuī -citum, intr, tr ① 黙っている, 口を開かない.(以下略)
taceat は 第2変化動詞 taceō の接続法・能動態・三人称単数現在形で、(三人称)は黙っているべきだ。

narrō -āre -āvī -ātum, tr, intr ① 話す, 語る, 物語る ② 言う, 述べる.
narret は 第1変化動詞 narrō の接続法・能動態・三人称単数現在形で、(三人称)は語るべきだ。

accipiō -pere -cēpī -ceptum, tr ① 受け取る, 受領する (以下略)
accēpit は 第3変化動詞B accipiō の直説法・能動態・三人称単数完了形で、受け取った。

 

【逐語訳】

Quī(〜するところの者は)dedit(〜を与えた)beneficium(恩恵を)taceat(黙っているべきだ); narret(〜は〜を語るべきだ)quī(〜するところの者は)accēpit(〜を受け取った).

 

【訳例】

恩恵を与えた者は黙っていよ。 受け取った者は(感謝を)語るべきだ。

 

(古典の鑑賞)

セナカ「セネカ哲学全集」第2巻の一節でした。今回は『セネカ哲学全集 2』(大西英文・小川正廣訳、岩波書店)を図書館で借りてきて、読んでみました。

この名句、「恩着せがましさ」や「恩知らず」を戒めるものとして、大人の常識としてとてもわかりやすいのですが、そこはセネカですから、「恩恵について」も上記の邦訳にしてA5版316頁にわたって語っているわけです。

そもそも「恩恵」とは何でしょう? 解説によれば、セネカの恩恵は、「必要不可欠なもの」「有益なもの」「快適なもの」の三つのタイプに分類されます。第1の必要不可欠な恩恵は、人の命や名誉や自由を守るために為される行為、第2の有益な恩恵は、金銭や地位を与えること、第3の恩恵は、本や酒など比較的軽い贈り物を贈ること、とされます。

さらに、恩恵は、ひらすら相手に役立ちたいがために与えられ、受け取るものは、与えるものの善良な意志をまっすぐに受け止め、何よりも感謝と喜びを持って受けなければならない、というわけです。

ところで、この思想、どことなく「神の無償の愛」と「神への感謝」の文脈と似ている気がします。セネカのよって立つストア派の、「自然にもとづいて人間の社会的絆の重要性を説く」倫理思想が、ある意味、キリスト教思想と親和性が高いとすれば、その後の神学の歴史を予感させて、とても興味深いですね。

また、「ボランティアは自由意志」というような主張も、こうした古代における人間の社会的絆の源泉に対する思索を、そのルーツに持つのかも知れないな、とふと思ったりしました。

新総理の発言から「自助・共助・公助」が話題になったりもいたしました。大切な家族、友人を思い、社会や政治のあり方を考えてみる手がかりとして、セネカ「恩恵について」を通読してみるのも良いかも知れません。