練習問題18-1
Patria mea tōtus hic mundus est.
(パトリア メア トートゥス ヒク ムンドゥス エスト)
Sen.Ep.28.4
セネカ「倫理書簡集」
Seneca: Epistulae Morales, Liber IIII
【学習課題】
代名詞1 代名詞的形容詞
【語彙と文法解析】
動詞は est。不規則動詞 sum の直接法・能動態・三人称単数現在。「である」
patria と mundus は名詞っぽい。たぶん両方とも主格として、そのまま辞書引き。
patria は 第1変化の女性名詞 patria の単数・主格(呼格)。ここでは主格で文の主語。「祖国」
mundus は 形容詞にもあるが、ここは名詞とみて、第2変化の男性名詞 mundus の単数・主格で、文の補語。「世界」
※この文では「私の祖国=この世界全体」なので、mundusを文の主語とみることも可能です。
mea は代名詞 meus の女性・単数・主格(呼格)。複数にもあるが、patriaにかかると思われるので、単数・主格でしょう。「私の」
tōtus は第1・第2変化の代名詞的形容詞 tōtus の男性・単数・主格で、mundusにかかる。「全体の」
hic は代名詞 hic の男性・単数・主格で mundus にかかる。「この」
【逐語訳】
Patria(祖国は)mea(私の)tōtus(全体の)hic(この)mundus(世界)est(である).
【訳例】
私の祖国はこの世界全体である。
この世界全体が私の祖国である。
(古典の鑑賞)
セネカ『倫理書簡集』書簡28の一節でした。今回も『セネカ哲学全集5』(高橋宏幸訳、岩波書店)を図書館で借りてきて読んでみました。最近は、京都府立図書館で借りることが多くなりました。市立にある本は府立にあるし、府立にしかない本も多いので。建築も素敵ですし。
手紙の宛先であるルーキーリウスは、何か払拭したいことがあるようで、各地を転々と旅しているようすですが、セネカは「わが生地はただ一つの片隅にあらず。わが祖国はこの世界なり」という言葉の意味を理解するなら、あちこち旅行して気晴らししようとしても、空しいことだ、と諭します。
心が晴れないのは、自身の抱える課題に向き合わないからで、それがわかっていれば、どこにいても、為すべきこと=よく生きることを自分自身に問うことは出来るはずだと。
「人間到る処青山あり」という言葉もありますが、どこか通ずるところがありますね。
ところで、今回は、この手紙の最後のくだりが、目につきました。「君自身について、できるかぎりの有罪立証をしてみたまえ。君自身を査問してみたまえ。(中略)ときには自分自身につらくあたることだ。」
ストア派の重鎮、セネカらしい至言ですね。凡人はとかく「よく生きる」ことを忘れがちですから。(笑)