ラテン語な日々

〜「しっかり学ぶ初級ラテン語」学習ノート〜

第33回課題(2020.7.11)

練習問題33-3

Nōn quī parum habet, sed quī plūs cupit,pauper est.
(ノーン クゥイー パルム ハベト、セド クゥイー プルース クピト、パウペル エスト)

Sen.Ep.2.6
セナカ「倫理書簡集」

Seneca: Epistulae Morales, Liber I

 

【学習課題】

代名詞2・その他 比較

 

【語彙と文法解析】

quī quae quod, pron, adj Ⅰ (adj interrog)① どの, 何の, どのような (中略)
Ⅱ (pron relat)Ⓐ (+ind)① (事実関係)...するところの(人・もの)(以下略)
quī は関係代名詞 quī の男性・単数・主格または男性・複数・主格。ここでは男性・単数・主格。先行詞である文の主語は省略されている。

parum adv 不十分に, 少なすぎて

habeō -ēre habuī habitum, tr(intr)① 持つ, 所有する.(以下略)
habet は第2変化動詞 habeō の直接法・能動態、三人称単数現在形。

sed, set conj ① (否定辞の後で)(...ではなく)...で (以下略)
nōn A set B で AではなくB。

plūs adv comp ① より多く, それ以上に ② さらに, そのうえ.

cupiō -pere cupīvī [-iī] cupītum, tr ① 切望する, 熱望する ② 愛着[好意]を示す 〈+dat〉.
cupit は第3変化動詞B cupiōの直説法・能動態、三人称単数現在形。

pauper -eris, adj ① 貧乏な, 貧しい.② 安価な.③ 乏しい, 貧弱な 〈alcis rei〉.
Pauper は第3変化形容詞(見出しがひとつ) pauper の単数・主格(呼格)または対格。ここでは主格補語で、男性・単数・主格。主語は省略されている。

sum esse fuī, intr Ⅰ (存在詞)①⒜ 存在する, ある, 居る (中略) Ⅱ (繋辞として)① ...である (以下略)

 

【構文】

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【逐語訳】

Nōn(〜ではなく) quī(〜する人)parum(不十分に)habet(所有する), sed(〜である)quī(〜する人)plūs(より多く)cupit(切望する),pauper(貧しい)est(である).

 

【訳例】

わずかしか持たない者ではなく、より多くを望む者が貧しいのである。

 

(古典の鑑賞)

セネカ「倫理書簡集」の一節でした。今回も『セネカ哲学全集 5』を図書館で借りてきて読んでみました。

セネカは「他派」であるものの、エピクロスも学び、本書のなかでもエピクロスからの引用が多く見られます。例えば、エピクロス「断片」(その1-25)に、次のような文が見つかりますが、今回の課題文の命題そのものですね。

「貧乏は、自然の目的(快)によって測れば、大きな富である。これに反し、限界のない富は、大きな貧乏である。」

エピクロス倫理学では、人間の欲求を、

  • 自然でもなく必要でもない欲求(たとえば名声、権力)
  • 自然だが不必要な欲求(たとえば大邸宅、豪華な食事、贅沢な生活)
  • 自然で必要な欲求(たとえば友情、健康、食事、衣服、住居を求める欲求)

の3つに分類し、このうち「自然で必要な欲求」を基本として生きることが、善き生き方であるとしたのですが、こうした「人間の感覚を善の尺度とする考え方」は、「自然=神の意志」に従って生きることを善き生き方であるとするストア派の立場と対立したため、どちらかと言えばむしろストイックなその思想も、「快楽主義」だと歪曲され、攻撃の的となったようです。

ただ、この時代のローマ人にとって、エピクロス学派はまだかなり影響力を持っていたようで、エピクロスラテン語に翻訳したルクレティウスはもちろん、ホラーティウスも自身のことを冗談めかして「エピクロスの豚(放蕩者の意)」と評したりしています。過去の学習会の課題でも、ホラーティウス『書簡詩』から「Semper avārus eget.」(貪欲な者は常に欠乏している。)に取り組んだことがありますし。

セネカストア哲学の第一人者ですが、その思想はエピクロスとかなり親和性が高かったようですね。

ところで、上記の「自然で必要な欲求」の例示を眺めていると、何となく憲法の条文のように見えてきて、ちょっと調べてみると、エピクロス哲学は「西洋最初の完全なヒューマニズムを創始すべき試みであった」と書かれている方がおられて、なるほどと一人で頷いてしまいました。

的外れかも知れませんが、何となく西欧近代の人権思想が築きあげられるに至った歴史の厚みのようなものを、少し垣間見た気がいたしました。

 

 

第31回課題(2020.6.27)

練習問題31-5

Optima quaeque diēs miserīs mortālibus aevī prīma fugit.
オプティマ クゥアクゥエ ディエース ミセリース モルターリブス アェウィー プリーマ フギト)

Verg.Geo.3.66-67
ウェルギリウス「農耕詩」

P. VERGILI MARONIS GEORGICON LIBER TERTIVS

 

【学習課題】

代名詞2・その他 副詞

 

【語彙と文法解析】

optimus adj superl 最もよい[すぐれた], 最高の.
optima は 第1・第2変化形容詞 optimus の女性・単数・主格(呼格)か中性・複数・主格(呼格)または対格。ここでは diēs にかかり女性・単数・主格。

quisque quaeque quidque(pron), quodque(adj), pron, adj 各人, おのおの, だれでも, 何でも(しばしば sg が pl 扱いされる).
quaegue は形容詞的代名詞 quisque の女性・単数・主格または女性中性・複数・主格または中性・複数・対格。ここでは女性・単数・主格で、diēsにかかる。

diēs -ēī, m(f)① 日, 一日 (以下略)
diēs は 第5変化名詞 diēs の男性女性・単数・主格(呼格)か男性女性・複数・主格(呼格)または対格。ここでは女性・単数・主格。

miser -era -erum, adj ① (人が)不幸な, みじめな, あわれな (以下略)
miserīs は 第1・第2変化形容詞 miser の通性・複数・与格または奪格。ここではmortālibusにかかり、男性・複数・与格。

mortālis -is, m 死ぬべき者, 人間.
mortālibus は第3変化形容詞 mortālis の通性・複数・与格または奪格。ここでは男性・複数・与格。

aevum, 《古形》aevus -ī, n ① 永遠 ② 生涯.(以下略)
aevī は 第2変化名詞 aevum の中性・単数・属格。diēsにかかる。

prīmus -a -um, adj superl ① 先頭の, 最前部の, 先端の.② 第一の (以下略)
prīma は第1・第2変化形容詞 prīmus の女性・単数・主格(呼格)。ここでは形容詞の副詞的用法で fugiōにかかりる。動詞の主語 diēsに連動して主格。

fugiō -gere fūgī, intr, tr Ⅰ (intr)① 逃げる, 逃走する, 走り去る (以下略)
fugit は第3変化動詞 fugiõ の三人称・単数・現在形。

 

【構文】

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【逐語訳】

Optima(最良の)quaeque diēs(日々は) miserīs(哀れな)mortālibus(死すべきものにとって)aevī(生涯の)prīma(一番のものとして) fugit(逃げ去る).

 

【訳例】

哀れな生き物にとって生涯最良の日々はいち早く逃げていく。

 

(古典の鑑賞)

ウェルギリウス「農耕詩」第3巻 「家畜」の一節でした。今回はめずらしく、最近古本で手に入れた愛蔵書、河津千代訳の『牧歌・農耕詩』(未来社)を読んでみました。1981年刊のこの本は、まだ活版印刷。糸かがりの上製本です。手に取るだけでうれしくなりますね。

河津訳の特徴は、訳注の詳しさ、というか翻訳の息づかいが聞こえてきそうな註書きです。解説は巻末ではなく、巻頭に。解説というより、ひとつのエッセイの様でとても楽しめます。懐かしい淀川長治さんの映画紹介といえば近いでしょうか。これからおもしろそうな話が始まるぞ、という感じです。

さて、「農耕詩」ですが、マエケーナースがこの教訓詩を書くようウェルギリウスに勧めた背景について、河津氏はイタリア農業の衰退、特にポンペイウス海上封鎖でローマが食料不足に陥っていたことをあげています。しかし、ウェルギリウス自身は農業の経験がなかったので、そこは持ち前の学習と研鑽によって、当時すでに十分に整理され、出版もされていた農業の手引書などに学びつつ、7年の歳月をかけて書き上げたようです。

時は流れ、ようやく作品が仕上がった頃には、すでに海上封鎖は解かれ、シチリア・エジプトから十分な小麦が供給されて、当面の食糧問題は解決していたので、「農耕詩」の出版は、時機を逸してしまったわけですね。

まあ、河津氏自身、書かれているように、マエケーナースが時局の農業危機の打開のために、どこまで真剣に「農耕詩」に期待していたかは疑わしいですが、河津氏の以下の指摘は面白かったです。

そもそも、当時は、広大な土地に、大勢の奴隷を使い、オリーブ、葡萄から牧畜、養魚まで多角経営を行う大農業の流れにあったようですが、ウェルギリウスの詩には奴隷は一人も出てこない。農民は「自ら手を固くして働く農民」であり、「神に祈り、自然を観察し、ある時は自然と戦い、ある時は自然に身を委ねて、法外な富や名声を求めず、しかも誇らかに生きてゆく。そのような農民を、ウェルギリウスは愛情をこめてうたった」のでした。

ある意味、ウェルギリウスが農業の経営と技術のプロでなかったことで、「農耕詩」は実用的な農業の手引書ではなく、自然と人間という、普遍的なテーマを謳う詩となったのかも知れません。案外、マエケーナースの意図も、このあたりにあったのかな、とも思えてきます。

ウェルギリウスと言えば『アエネーイス』ですが、この「農耕詩」こそ彼の最高傑作とみる後世の評価もあるらしい。まさにウェルギリウスにとって、この作品とともにあった頃が「人生最良の日々」だったのでしょうね。

 

PS.

山下先生から、「農耕詩」は農業の指南書の形を借りて、実際には人間の生き方に焦点を当てた教訓詩、とのコメントをいただきました。マエケーナースの企図も、ウェルギリウスの情熱も、そこにあったのですね〜。

 

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第28回課題(2020.6.6)

練習問題28-5 (※2行目は自習です)

Nītimur in vetitum semper cupimusque negāta.
(ニーティムル イン ウェティトゥム セムペル クピムスクエ ネガータ)
  sīc interdictīs imminet aeger aquīs.
  (シーク インテルディクティース イッミネト アエゲル アクイース

 

Ov.Am.3.4.17
オウィディウス「恋の歌」

Ovid: Amores III

 

【学習課題】

 形式受動態動詞

 

【語彙と文法解析】

nītor -tī nixus [nīsus] sum, intr dep ① 寄りかかる, もたれる 〈re(物・事の奪格);in re;in alqd(物・事の対格)〉② 支えられる, 立っている 〈re〉.③ 信頼する, 頼みにする 〈+abl(奪格)〉(中略) ⑨ 得ようと努力する 〈ad [in] alqd;ut, ne;+inf〉.
nītimur は第3変化動詞(形式受動態動詞) nītor の直説法・受動態・一人称複数現在形で、我々は in <対格> を得ようと努力する。

in prep Ⅰ 〈+abl〉① (空間的)...の中に, ...において, ...に(中略) Ⅱ 〈+acc〉① (空間的)...へ, ...に向かって, ...の方へ, ...の中へ (中略)⑥ (目的または動機を表わして)...のために (以下略)

vetō -āre -tuī -titum, tr 禁止する, 拒否する, 妨げる 〈+acc;+inf;+acc c. inf;ne〉
vetitum は vetōの完了分詞 vetitus の男性・単数・対格または中性・単数・主格(呼格)か対格。ここでは中性・単数・対格で、禁じられたもの。

semper adv 常に, いつでも

cupiō -pere cupīvī [-iī] cupītum, tr ① 切望する, 熱望する 〈alqd;+inf;+acc c.inf;ut, ne〉.② 愛着[好意]を示す 〈+dat〉.
cupimusque は第3変化動詞 cupiō の直説法能動態一人称複数現在形+queの形で、切望もする。

negō -āre -āvī -ātum, tr(intr) Ⅰ (tr)① 否定[否認]する 〈alqd;+acc c. inf〉.② 拒絶[拒否]する, 断わる 〈alqd;+inf〉.③ 禁ずる, 許さない 〈alci alqd;+acc c. inf〉.Ⅱ (intr)否と言う 〈+dat〉.
negāta は第1変化動詞 negōの完了分詞 negātusの女性・単数・主格(呼格)または中性・複数・主格(呼格)か対格。ここでは中性・複数・対格で、拒絶されたもの。

sīc adv ① この[その]ように ② この条件で, この限りで ③ それゆえ, だから.(以下略)

interdictus -a -um, adj(pp)禁じられた.
interdictīs は 完了分詞 interdictus の通性・複数・与格または奪格。aquīsにかかり、女性・複数・与格。

immineō -ēre, intr ① 差し掛かる, 張り出す 〈+dat〉.② おびやかす, 悩ます 〈alci〉.③ 狙っている, 心を傾けている;用心している 〈+dat〉.(以下略)
imminet は第2変化動詞 immineō の三人称・単数・現在形。+与格で、〜に傾倒している。

aeger -grī, m 病人.
aeger は 第2変化名詞 aeger の主格(呼格)。ここでは主格で、病人は。

aqua -ae, f ① 水 (以下略)
aquīs は第1変化名詞 aqua の女性・複数・与格または奪格。ここでは与格。

 

【逐語訳】

Nītimur in(我々は〜を得ようと努力する)vetitum(禁じられたものを) semper (常に)cupimusque(また我々は切望する)negāta(拒絶されたものを).

sic(だから)interdictīs(禁じられた)imminet(傾倒する) aeger(病人は)aquīs(水に).

 

【訳例】

我々は常に禁じられたものを得ようとし、また拒絶されたものを欲する。
だから病人は、禁じられた水を渇望する。

 

(古典の鑑賞)

オウィディウス「恋の歌」の一節でした。今回も『ローマ恋愛詩人集』(中山恒夫編訳・アウロラ叢書)を図書館で借りてきて読んでみました。こちらは市立図書館にはなく、府立図書館にあります。希少本ですね。

この本の装丁が好きで、いつも古本を買おうかと思うのですが、なかなか踏み切れません。何となく大正ロマンを感じる詩集です。

解説を読むと、それもそのはず。ローマの恋愛詩人たちが活躍した時代、特にオウィディウスが当代随一の詩人として人気を博していた頃(前20年頃からおよそ30年間)は、ローマが長い内乱から脱し、人々は「ローマの平和」を謳歌していたので、時代の雰囲気が(大正時代のように)自由闊達で、文化の爛熟していく頃だったのですね。

さて、この「恋の歌」はオウィディウスの代表作の中では、初期の作品です。ラテン文学黄金時代を築き上げたウェルギリウスホラーティウスらの詩作にみられたある種の使命感や、先行する恋愛詩人プロペルティウスらの恋愛詩への真摯な態度は希薄となり、オウィディウスのそれは偉大な叙情詩、教訓詩を前提とした「遊戯」でありパロディーとなっているらしい。(「ラテン文学を学ぶ人のために」世界思想社 より)

エレゲイア詩形は、恋愛詩人たちの叙情詩に対する自己区別=アイデンティティ、詩人としての魂だったようですが、オウィディウスは「恋の歌」の冒頭、自分は荘重な叙情詩を用意していたのに、クピドー(キューピッドのこと)が韻脚を一つ持ち去ってしまったので、仕方ないのでエレゲイア詩形で歌うことにする、とユーモアを込めて宣言します。

逆に言えば、詩の内容はアモル(=恋)の戯れで遊びつつ、形式においては、偉大な先達たちの恋愛詩の伝統を、その博識と研鑽によって厳格に守った、とも言えるでしょう。

で、そのエレゲイア詩形の韻律ですが、また挑戦してみました。エレゲイア詩形とは韻律ヘクサメトロス(六韻律)とペンタメトロス(五韻律)の二行連句から構成されるもの、ということです。

しかし韻律は、言うは易く行うは難し、です。

Nī-ti-mur/ in ve-ti/tum sem/per cu-pi/mus-que ne/gā-ta.
(ニーティムル/ イン ウェティ/トゥム セム/ペル クピ/ムスクエ ネ/ガータ)
(長短短   / 長短短    /長長    /長短短  /長短短   /長短)
sīc int/erdic/tīs im/mi-ne-t ae-ger/ a-qu-īs.
(シーク インテ/ルディク/ティース イッ/ミネト アエゲル/ アクイース
(長長     /長長  /長長     /長短短     /長長)

今回は、読みに長短を揃えてみました。リズムがタンタタ、タンタタと刻めそうなところと、転けそうなところがありますね。(笑)

最近、娘が幼稚園で俳句を習ってきて、何でも五七五にして楽しんでいるようです。ギリシャ人にとっても、ローマ人にとっても、詩の韻律というものは、心地よいものだったんでしょうね。

 

PS.

山下先生に、韻律を直していただきました。1行目OKでした! 初めて韻律分析に成功です。 2行目は、エレゲイア詩形では、ダクチュルス(-v v)を5つではなく、ヘーミエペス(-v v -v v -)が2つとなるそうです。

正解は、以下の通り。

Nī-ti-mur/ in ve-ti/tum sem/per cu-pi/mus-que ne/gā-ta.
(ニーティムル/ イン ウェティ/トゥム セム/ペル クピ/ムスクエ ネ/ガータ)
(長短短   / 長短短    /長長    /長短短  /長短短   /長短)

sīc int/erdic/tīs // im-mi-net / ae-ger a / qu-īs.
(シーク インテ/エルディク/ティース /イッミネト /アエゲル ア/クイース
(長長     / 長長   /長   /長短短   /長短短   /長)

※「//」はカエスーラでペンタメトルスの真ん中に必ず置かれる。

 

参考サイト:
ラテン文学の韻律(2)_Via della Gatta
ディスティコン(distichon):エレゲイアの韻律

 

 

第1回課題(2020.9.20)

練習問題3-4

Aquila nōn captat muscam.
 (アクイラ ノーン カプタト ムスカム)

 

【学習課題】

名詞と形容詞1

 

【語彙と文法解析】

aquila -ae, f ① 〘鳥〙ワシ(鷲).(以下略)
aquila は第1変化名詞 aquilaの女性・単数・主格(呼格)。ここでは主格で、鷲は。

nōn adv ① ...でない (以下略)

captō -āre -āvī -ātum, tr freq(反復)① つかもうとする.② 熱心に求める, 得ようと努める, 狙う (以下略)
captat は第1変化動詞 captō の三人称単数現在形。nōnがかかるので、否定文となり、(それは)狙わない。

musca -ae, f ① 〘昆〙ハエ(蠅).(以下略)
muscam は第1変化名詞 musca の女性単数対格で、captat の目的語。蠅を。

 

【逐語訳】

Aquila(鷲は)nōn captat(捕らえない)muscam(蠅を).

 

【訳例】

鷲は蠅を捕らえず。

 

(古典の鑑賞)

※過去に担当した際の再掲です。「格言選集」注文したので、また後日、感想文を書こうと思います。

 

古代ギリシャの諺とのこと。エラスムスが「格言集」で取り上げ、現代では英語でも「Eagles don’t catch flies. 」と訳され、一般的に知られているようですが、恥ずかしながら、私は存じませんでした。(汗)

ネットでは、「武士は食わねど高楊枝」と並べて紹介されてもいますが、私は「鷲」というのはもう少し偉大な人物を意味しているように感じます。

「偉大な人物というものは、小事にかまわない(ので、ささいなことで失敗する)」というもの、何となくうなずけますね。

エラスムスの「格言集」は当初818語の格言が収められたが、版を重ねるたびに拡充されて、最終版では4151語の収録となったそうです。エラスムスは中世以降の教会のあり方への批判的立場から、ギリシャ・ローマの古典に深く学び、本来のキリスト教の教えの真髄を表そうとしたのでしょう。

現代の私たちが、ギリシャ・ローマ古典文学を学ぶ意義も、エラスムスの精神と共通するところもありそうです。

エラスムスの「格言集」は図書館で見つかりませんでしたので、「格言選集」を購入して読んでみようと思います。

 

第35回課題(2020.7.25)

練習問題35-1

Quī dedit beneficium taceat; narret quī accēpit.

Sen.Ben.2.11.2
セナカ「恩恵について」

Seneca: On Benefits II

 

【学習課題】

動詞5 接続法の活用と単文での用法

 

【語彙と文法解析】

quī quae quod, pron, adj
Ⅰ (adj interrog)① どの, 何の, どのような ② (感嘆)何という.
Ⅱ (pron relat)Ⓐ (+ind 直接法)① (事実関係)...するところの(人・もの) Ⓑ (+subj 接続法)① (目的)...するために (以下略)
quī は 関係代名詞で男性単数主格または複数主格。 +直説法のかたちで、〜するところの(人・もの)。

dō dare dedī datum, tr ① 与える, 提供する, 授ける ② (義務として)支払う ③ (力を)注ぐ, ささげる, ゆだねる (以下略)
dedit は 不規則動詞 dō の直説法・能動態・三人称単数完了形で、〜を与えた。

beneficium -ī, n ① 善行, 親切, 恩恵, 好意 (以下略)
beneficium は 第2変化名詞 beneficium の中性・単数・主格(呼格)または対格。ここでは対格で、恩恵を。

taceō -ēre -cuī -citum, intr, tr ① 黙っている, 口を開かない.(以下略)
taceat は 第2変化動詞 taceō の接続法・能動態・三人称単数現在形で、(三人称)は黙っているべきだ。

narrō -āre -āvī -ātum, tr, intr ① 話す, 語る, 物語る ② 言う, 述べる.
narret は 第1変化動詞 narrō の接続法・能動態・三人称単数現在形で、(三人称)は語るべきだ。

accipiō -pere -cēpī -ceptum, tr ① 受け取る, 受領する (以下略)
accēpit は 第3変化動詞B accipiō の直説法・能動態・三人称単数完了形で、受け取った。

 

【逐語訳】

Quī(〜するところの者は)dedit(〜を与えた)beneficium(恩恵を)taceat(黙っているべきだ); narret(〜は〜を語るべきだ)quī(〜するところの者は)accēpit(〜を受け取った).

 

【訳例】

恩恵を与えた者は黙っていよ。 受け取った者は(感謝を)語るべきだ。

 

(古典の鑑賞)

セナカ「セネカ哲学全集」第2巻の一節でした。今回は『セネカ哲学全集 2』(大西英文・小川正廣訳、岩波書店)を図書館で借りてきて、読んでみました。

この名句、「恩着せがましさ」や「恩知らず」を戒めるものとして、大人の常識としてとてもわかりやすいのですが、そこはセネカですから、「恩恵について」も上記の邦訳にしてA5版316頁にわたって語っているわけです。

そもそも「恩恵」とは何でしょう? 解説によれば、セネカの恩恵は、「必要不可欠なもの」「有益なもの」「快適なもの」の三つのタイプに分類されます。第1の必要不可欠な恩恵は、人の命や名誉や自由を守るために為される行為、第2の有益な恩恵は、金銭や地位を与えること、第3の恩恵は、本や酒など比較的軽い贈り物を贈ること、とされます。

さらに、恩恵は、ひらすら相手に役立ちたいがために与えられ、受け取るものは、与えるものの善良な意志をまっすぐに受け止め、何よりも感謝と喜びを持って受けなければならない、というわけです。

ところで、この思想、どことなく「神の無償の愛」と「神への感謝」の文脈と似ている気がします。セネカのよって立つストア派の、「自然にもとづいて人間の社会的絆の重要性を説く」倫理思想が、ある意味、キリスト教思想と親和性が高いとすれば、その後の神学の歴史を予感させて、とても興味深いですね。

また、「ボランティアは自由意志」というような主張も、こうした古代における人間の社会的絆の源泉に対する思索を、そのルーツに持つのかも知れないな、とふと思ったりしました。

新総理の発言から「自助・共助・公助」が話題になったりもいたしました。大切な家族、友人を思い、社会や政治のあり方を考えてみる手がかりとして、セネカ「恩恵について」を通読してみるのも良いかも知れません。

 

第26回課題(2020.5.23)

練習問題26-1

Fortūna vitrea est; tum, cum splendet, frangitur.
(フォルトゥーナ ウィトレア エスト トゥム クム スプレンデト フランギトゥル)

Syr.219
プーブリリウス・シュルス「格言集」

 

【学習課題】

 動詞4 直接法・受動態(1)現在・未完了過去・未来

 

【語彙と文法解析】

fortūna -ae, f ① 運, 運命.② 幸運.(以下略)
Fortūna は 第1変化名詞 fortūna の女性・単数・主格(呼格)。ここでは主格。幸運は。

vitreus -a -um, adj ① ガラス製の.② ガラスのような, 透明な, きらめく ③ 砕けやすい, もろい
vitrea は 第1・第2変化形容詞 vitreus の女性・単数・主格(呼格)または中性・複数・主格(呼格)か対格。ここではfortūnaに合わせて、女性・単数・主格。ガラス製の。

sum esse fuī, intr Ⅰ (存在詞)①⒜ 存在する, ある, 居る(中略) Ⅱ (繋辞として)① ...である ② ⒜ (+所有の属格[所有形容詞])ある人に属する, ...の所有物である ⒝ (+性質の属格[奪格])...を持っている[所有する], ...がある ⒞ (+数詞の属格)...から成り立つ, (合計して)...の数[額]になる (以下略)
est は 不規則動詞 sum の直説法・能動態・三人称多数現在形。

tum adv ① その時(に), その際(に), その当時 ② それから, そこで, その次に
③⒜ ~ ... ~ ある時は...(また別の)ある時は, ...ばかりでなく...もまた ⒝ cum ... ~ ...ばかりでなく(とりわけ)...もまた
tum は 副詞 tum で、cum splendet にかかり、その時に。

cum conj Ⅰ〈+ind(直接法)〉① (真に時を示す)...の時に ② (反復)...するたびごとに, ...の時はいつも ③ ...以来 ④ (追加的;主文の後に重点のある副文がくる)...とその時 (以下略) Ⅱ 〈+subj(接続法)〉① (理由)...の故に, ...であるから (以下略)
cum は 接続詞 cum で +<直説法>の形で、〜の時に の意。

splendeō -ēre -duī, intr ① 輝く, 光る.② 際立つ, 顕著である.
splendet は 第2変化動詞 splendeō の直接法・能動態・三人称単数現在形。輝く。

frangō -ere frēgī fractum, tr ① 粉砕する, こわす(以下略)
frangitur は 第3変化動詞 frangō の直説法・受動態・三人称単数現在形。壊される。

 

【逐語訳】

 Fortūna(幸運は)vitrea(ガラス製の)est(である); tum(その時に), cum splendet(それが輝く時), frangitur(壊される).

 

【訳例】

幸運はガラス細工。それが輝くまさにその時に壊れる。

 

(古典の鑑賞)

プーブリリウス・シュルス「格言集」の一節でした。プーブリリウス・シュルスは前1世紀に活躍したミーモス劇作家。ミーモス劇とは、即興的な話芸で、時事的な諷刺をおりこみ、観客を楽しませたそうですが、作品としては散逸してしまい、劇中の格言をアルファベット順に並べたものが編纂され、これが「格言集」として伝えられているらしい。探してみたのですが、邦訳は見つからず、Googleブックスにスイスの文献学者マイヤーによって1880年に出された校定本がありました。

「格言集」は写本の過程で、プーブリリウス以外のものが400近く混じっていたそうで、それらが整理され、約700の格言が収められたマイヤーの校定本が決定版に近いものと評価されているそうです。

邦訳は見つからなかったものの、ネット上の名言・格言のサイトにプーブリリウス・シュルスの格言も多く見られました。一例を挙げると、

  • 一度失った信用は、二度と帰ってこない。
  • 言い分が正しいなら、どんな裁判官も恐れぬはずである。
  • 最も欲望の少ない者が最も豊かな者である。
  • 我々は望んではいけないことを最も望むものである。
  • 敵に打ち勝つだけで十分である。敵を滅ぼすのは行き過ぎである。
  • 腹の立つようなことは何事であれ、いっさい避けたほうが賢明である。
  • 人は論じすぎて、真実を見失う。
  • 言下にきっぱりと断るのは、大いに人助けになる。
  • じっくり考える時間は、時間の節約になる。
  • 運命の女神は、引き止めるよりも見つけ出すほうが容易である。
  • 婉曲に断るのは、何かを承知したことになる。
  • 変更できない計画は悪い計画である。
  • 恩恵を受けることは自由を売ることである。
  • 予防は治療にまさる。

等々と、どこかで聞いたような格言がずらり。プーブリリウスの引用が多いとされるセネカが好んで記しそうな言葉や、以前にキケローやウェルギリウスホラーティウスなどの作中で出会ったかな、と思うようなフレーズもいろいろ。時間を見つけて、自分なりの翻訳に取り組んでみるもの、楽しそうですね〜。

 

参考サイト:

北鎌フランス語講座 - ことわざ編 文献紹介・参考文献
プブリリウス・シルス 世界偉人名言集

  

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プーブリリウス・シュルス「格言集」(W.Meyer校定本)

Publilii Syri mimi Sententiae - Publilius (Syrus), Wilhelm Meyer - Google ブックス

 

 

第30回課題(2020.6.20)

練習問題30-2

Rīdētur, chordā quī semper oberrat  eādem.

Hor.A.P.356
ホラーティウス「詩論」

Horace: Ars Poetica

 

【学習課題】

代名詞2・その他 関係代名詞

 

【語彙と文法解析】

rīdeō -ēre(不定法)rīsī(完了形)rīsum(目的分詞), intr(自動詞), tr(他動詞) ① 笑う.(以下略)
rīdētur は 第2変化動詞 rīdeō の直接法・受動態で、三人称・単数・現在。

chorda -ae, f ① (弦楽器に用いる)腸線.② ひも, 綱 (以下略)
chordā は 第1変化動詞 chorda の女性・単数・奪格。

quī quae(女性)quod(中性), pron(代名詞), adj(形容詞)
Ⅰ (adj interrog 疑問詞) ① どの, 何の, どのような ② (感嘆)何という. Ⅱ (pron relat 関係代名詞)Ⓐ (+ind 接続法)① (事実関係)...するところの(人・もの)(以下略)
quī は関係代名詞 quī の男性・単数または複数・主格。ここでは単数。

semper adv 常に, いつでも

oberrō -āre(不定法)-āvī(完了形)-ātum(目的分詞), intr(自動詞) ① 歩きまわる, ぶらつく.(中略)④ 誤る, 間違える.
oberrat は 第1変化動詞 oberrō の直説法・能動態で、三人称・単数・現在。

īdem(男性)eadem(女性)idem(中性), pron(代名詞), adj demonstr(指示形容詞)Ⅰ (adj)同じ, 同一の, 同様の.Ⅱ (pron)同じ人[もの], 同様のもの
eādem は指示形容詞 īdem の女性・単数・奪格で、chordāにかかる。

 

【逐語訳】

Rīdētur(笑われる), chordā(弦において)quī(〜のところの者は)semper(いつも)oberrat(間違える)eādem(同じ).

 

【訳例】

いつもちょうど同じ弦で間違える者は笑われる。

 

(古典の鑑賞)

ホラーティウス「書簡詩」第二巻第三歌(詩論)の一節でした。今回は『アリストテレース 詩学ホラーティウス 詩論』(松本仁助・岡道男訳、岩波文庫)を図書館で借りてきて読んでみました。また、鈴木訳、高橋訳も手元にあったので、参考にしました。

「詩論」の名で知られている(らしい)この作品は、上記の文庫の前半のアリストテレスによる「詩学(試作の技術について)」のような「論」ではなく、書簡の形式で書かれていて、鈴木氏も、「その内容は教訓めいた所があると思えば、文学史となり、更に詩形の吟味から、人生の描写へと唐突に変わって行く。その乱雑な文章から、全編を貫く主張を求めるならば、文学−あるいは広く文芸−に対する「穏健中立」な思想であろう」と解説されていました。

もともと poiēsis(詩作)の語源であるギリシャ古語の「ポイエーシス」は、ものを「作ること」の意だったと聞くと、なるほど、ホラーティウスの平明な語り口による、詩作論、演劇論、作家論が、詩や劇を愛する人々だけでなく、ものづくりに携わる人、また、その示唆に富んだ人生訓に魅了された一般の読者など、後世に与えた影響の大きさも、わかるような気がいたします。

「詩論」は大きくわけて、(1)詩作の一般原則、(2)演劇に関するメモ、(3)作家論から構成され、高橋訳、鈴木訳には、更に内容に即した区分(小見出し)が挿入されています。

今回の課題文は、作家論の後段、高橋訳では「許容の限界」、鈴木訳では「作家の誤りについて」の文脈のくだりでした。以前、フジ子・ヘミングが何かで「少しくらい間違ったっていいのよ。機械じゃあるまいし」と語ったと伝えられていますが、一流のピアニストならではの逆説で、ホラーティウスの「許容の限界」を示した名言のように、私には思えました。