ラテン語な日々

〜「しっかり学ぶ初級ラテン語」学習ノート〜

第17回課題(2020.3.21)

練習問題17-4

Quis custōdiet ipsōs custōdēs?
(クゥイス クストーディエト イプソース クストーデース)

Juv.6.347-348

ユウェナーリス「風刺詩」

Juvenal VI

 

【学習課題】

 代名詞1 指示代名詞・強意代名詞・疑問代名詞

 

【語彙と文法解析】

quis quis quid, pron(adj)Ⅰ (interrog:疑問の)① だれ, 何, どれ.(以下略)
quis は疑問代名詞 quisの男性または女性・単数・主格。ここでは男性で、文の主語。

custōdiō -īre -īvī [-iī] -ītum, tr ① 見張る, 監視する 〈alqd ab alqo〉.(以下略)
custōdiet は第4変化動詞 custōdiōの直接法・能動態・未来、三人称単数。

ipse -a -um , pron intens(強意の)① 自ら, 自身 ② ちょうど, まさに(以下略)
ipsōs は強意代名詞 ipseで、custōdēsに合わせて、男性・複数・対格。〜自身を。

custōs -ōdis, m(f)① 見張人, 監視人.② 保護者.③ 番兵, 歩哨.④ 密偵, スパイ.⑤ 看守.
custōdēs は第3変化名詞 custōsの男性・複数・主格(呼格)または対格。ここでは対格。見張人を。

【逐語訳】

 Quis(誰が〜のか) custōdiet(見張る) ipsōs custōdēs(見張人自身を)?

 

【訳例】

 誰が見張人自身を見張るのだろうか?

 

(古典の鑑賞)

ユウェナーリス「諷刺詩」第6章の一節でした。「諷刺詩」は2回目。今回も『ローマ諷刺詩集』(国原吉之助訳、岩波文庫)を図書館で借りてきて読んでみました。

前回の課題文だった、ユウェナーリスのことば「Facit indignātiō versum.−義憤が詩を作る」は、私の人生を少し変えたかも知れません。

どちらかといえば「お行儀の良い」私にとって、世の無常、権力の腐敗、道徳の退廃を指弾するにしても、ここまで激しい言葉が、果たして必要かと、正直思うわけですが、まさに、「人間の悪や欠点に毒舌をふるうため、ギリシャの古喜劇の精神に倣って作られた誹謗詩」それこそが、ローマ詩人が生み出した「Saturae−諷刺詩」の世界なのです。

解説で引用された、シラーの「いつでも生き生きと理想の満ちわたった心から流れ出てくる激情的諷刺」ということばを重ねて、作品に接すると、「中庸」という日本人好みの言葉が薄汚れてさえみえるほど。「本当にこれでいいのか!」という指弾の舌鋒は、あくまで「健全な精神」に突き動かされた、至高の声なのですね。

「諷刺詩」第6章は、以前、課題文に取り組んだ、オウィディウス『恋の歌』「第3巻「四、見張りは無用」の裏返しの様な文脈で、妻を束縛するのは、「都会的じゃないよ」と歌ったオウィディウスに対して、ユウェナーリスは、見張りをたてても「その見張り番を誰が監視するのか」と歌ったのが、今回の課題文のくだりです。

まあ、それはそれで、なかなか人生の機微を感じ、また帝政ローマの世情にふれる興味深さもあるのですが、西洋では、このフレーズは一般に、国家権力をどのように説明することができるかについて、哲学的な検討を要求する際の、ある種の「決まり文句」として使用されるようです。

2013年の国連人権理事会では、「人々は常に指導者の憲法的行動を監視し、彼らの義務に違反して行動する場合は彼らを弾劾しなければならない」としてユウェナーリスの言葉「その見張り番を誰が監視するのか」は「民主主義の中心的な関心事であることに変わりはありません」との報告がなされた、とのこと(wikipedia)。

最近では中国の香港への統制強化に対する香港理工大の学生がキャパス正門近くの壁に「Quis Custodiet ipsos custodes?」とスプレーでメッセージを掲げ(註1)、先日の米国ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドさんが警察官に拘束されて死亡した事件に対する抗議行動の中でも、ワシントンのビルの壁面にこの「警句」が出現しました(註2)。

誠に「義憤が詩を作る」、この詩人の精神が現代に甦ったような、至高のメッセージですね。

 

※註1

mainichi.jp

※註2

Qcicdc

Quis custodiet ipsos custodes? - Wikipedia