ラテン語な日々

〜「しっかり学ぶ初級ラテン語」学習ノート〜

第17回課題(2020.3.21)

練習問題17-4

Quis custōdiet ipsōs custōdēs?
(クゥイス クストーディエト イプソース クストーデース)

Juv.6.347-348

ユウェナーリス「風刺詩」

Juvenal VI

 

【学習課題】

 代名詞1 指示代名詞・強意代名詞・疑問代名詞

 

【語彙と文法解析】

quis quis quid, pron(adj)Ⅰ (interrog:疑問の)① だれ, 何, どれ.(以下略)
quis は疑問代名詞 quisの男性または女性・単数・主格。ここでは男性で、文の主語。

custōdiō -īre -īvī [-iī] -ītum, tr ① 見張る, 監視する 〈alqd ab alqo〉.(以下略)
custōdiet は第4変化動詞 custōdiōの直接法・能動態・未来、三人称単数。

ipse -a -um , pron intens(強意の)① 自ら, 自身 ② ちょうど, まさに(以下略)
ipsōs は強意代名詞 ipseで、custōdēsに合わせて、男性・複数・対格。〜自身を。

custōs -ōdis, m(f)① 見張人, 監視人.② 保護者.③ 番兵, 歩哨.④ 密偵, スパイ.⑤ 看守.
custōdēs は第3変化名詞 custōsの男性・複数・主格(呼格)または対格。ここでは対格。見張人を。

【逐語訳】

 Quis(誰が〜のか) custōdiet(見張る) ipsōs custōdēs(見張人自身を)?

 

【訳例】

 誰が見張人自身を見張るのだろうか?

 

(古典の鑑賞)

ユウェナーリス「諷刺詩」第6章の一節でした。「諷刺詩」は2回目。今回も『ローマ諷刺詩集』(国原吉之助訳、岩波文庫)を図書館で借りてきて読んでみました。

前回の課題文だった、ユウェナーリスのことば「Facit indignātiō versum.−義憤が詩を作る」は、私の人生を少し変えたかも知れません。

どちらかといえば「お行儀の良い」私にとって、世の無常、権力の腐敗、道徳の退廃を指弾するにしても、ここまで激しい言葉が、果たして必要かと、正直思うわけですが、まさに、「人間の悪や欠点に毒舌をふるうため、ギリシャの古喜劇の精神に倣って作られた誹謗詩」それこそが、ローマ詩人が生み出した「Saturae−諷刺詩」の世界なのです。

解説で引用された、シラーの「いつでも生き生きと理想の満ちわたった心から流れ出てくる激情的諷刺」ということばを重ねて、作品に接すると、「中庸」という日本人好みの言葉が薄汚れてさえみえるほど。「本当にこれでいいのか!」という指弾の舌鋒は、あくまで「健全な精神」に突き動かされた、至高の声なのですね。

「諷刺詩」第6章は、以前、課題文に取り組んだ、オウィディウス『恋の歌』「第3巻「四、見張りは無用」の裏返しの様な文脈で、妻を束縛するのは、「都会的じゃないよ」と歌ったオウィディウスに対して、ユウェナーリスは、見張りをたてても「その見張り番を誰が監視するのか」と歌ったのが、今回の課題文のくだりです。

まあ、それはそれで、なかなか人生の機微を感じ、また帝政ローマの世情にふれる興味深さもあるのですが、西洋では、このフレーズは一般に、国家権力をどのように説明することができるかについて、哲学的な検討を要求する際の、ある種の「決まり文句」として使用されるようです。

2013年の国連人権理事会では、「人々は常に指導者の憲法的行動を監視し、彼らの義務に違反して行動する場合は彼らを弾劾しなければならない」としてユウェナーリスの言葉「その見張り番を誰が監視するのか」は「民主主義の中心的な関心事であることに変わりはありません」との報告がなされた、とのこと(wikipedia)。

最近では中国の香港への統制強化に対する香港理工大の学生がキャパス正門近くの壁に「Quis Custodiet ipsos custodes?」とスプレーでメッセージを掲げ(註1)、先日の米国ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドさんが警察官に拘束されて死亡した事件に対する抗議行動の中でも、ワシントンのビルの壁面にこの「警句」が出現しました(註2)。

誠に「義憤が詩を作る」、この詩人の精神が現代に甦ったような、至高のメッセージですね。

 

※註1

mainichi.jp

※註2

Qcicdc

Quis custodiet ipsos custodes? - Wikipedia

 

 

『スキーピオーの夢』「20分の1」の謎

自習

cūius quidem annī nōndum vīcēsimam partem scītō esse conversam.

Cic.Rep.6.24.
キケロー「国家について〜スキーピオーの夢」

Cicero: de Re Publica VI

 

【語彙と文法解析】

quī quae quod, pron, adj Ⅰ (adj interrog)① どの, 何の, どのような(中略)
Ⅱ (pron relat)Ⓐ (+ind 直接法)① (事実関係)...するところの(人・もの)
(以下略)
cūiusは関係代名詞 quīの中性・単数・属格で、caelum(天)の単数・属格 caelīをさし、annīのかかる。その(天の)。

quidem adv 確かに, 全く

annus -ī, m ① 年 (以下略)
annīは第2変化名詞 annusの男性・単数・属格または複数・主格(呼格)。ここでは単数・属格。年の。

nōndum adv まだ...ない.

vīcēsimus, vīcens- -a -um, num ord ① 第20の, 20番目の.② 20分の1の.
vīcēsimamは第1・第2変化形容詞 vīcēsimusの女性・単数・対格で、partemにかかる。

pars partis, f ① 部分, 一部 ② 約数 
tertia ~ (VITR)∥3分の1、dimidia ~ (PLAUT)∥2分の1、半分(pl;基数詞を伴って)、partes duae (LIV)∥3分の2、tres partes (CAES)∥4分の3.
vīcēsimam partemで「20分の1」を表す。

sciō -īre -īvī [-iī] -ītum, tr(intr)① 知っている 〈+acc;de re;+acc c.inf〉.② 精通している, 心得ている 〈alqd;+inf (以下略)
scītōは第4変化動詞 sciōの命令法・能動態・未来、2人称または3人称・単数。ここでは2人称・単数。

esseは不規則動詞 sumの不定法・現在。

convertō -ere -vertī -versum, tr, intr Ⅰ (tr)① 回転させる, 回す.(以下略)
conversamは第3変化動詞 convertōの完了分詞。女性・単数・対格。esse conversamで、convertōの不定法・受動態・完了をつくる。回転したこと。

 

【逐語訳】

cūius(その) quidem(確かに) annī(年の) nōndum(まだ〜ない) vīcēsimam partem(20分の1) scītō(あなたは知りなさい) esse conversam(回転したこと).

 

【訳例】

確かに、まだその年の20分の1も回転していないことをお前は知っておきなさい。

 

(古典の鑑賞)

先日、課題で取り組んだキケロー「国家について」第6章「スキーピオーの夢」の一節から。前回、学習した際に、どうも気になったので、今回は岡訳の訳註にあった「ティマイオス」(『プラトン全集12』種山恭子訳、岩波書店)を図書館で借りてきて読んでみました。

岡訳は返却してしまって手元にないのですが、確か、この一節についていた註には、ロームルスの死(B.C.716)からスキーピオーの夢(B.C.149)までが567年なので、天の「一年」はその20倍、12000年くらいか?と書かれてあったように記憶しています。

で、この一節の前の段落が、「一めぐりの年」についての記述で、ここに「ティマイオス」(39c-d)参照の註がついていました。すべての星が元の位置に戻る、ということで、ああこれは「一めぐりの年」は歳差年のことなんだなと思いつつ、「ティマイオス」にその考え方が書かれているのだろうと、読んでみたわけです。

しかし、何事も、原典に一応はあたってみるもの。上記「ティマイオス」(39c-d)のくだりは、地球、月、太陽、水星、金星、火星、木星土星の「八つの循環運動の相対的な速さ(周期)が同時にその行程を完了して大団円に到達する時、時間の完全数が完全年を満たすのだ」云々と、一見「手のつけようもないほど」複雑な惑星の天球上の運動(彷徨)にも、何らかの神秘的な原理が隠されている、という主張でした。

確かに、ヒッパルコス春分点の移動から、歳差運動を発見したのが、B.C.146〜127らしいので(Wikipedia)、プラトンは歳差運動は知らなかった、ということか。

いやまてよ、「vertens annus=ひとめぐりの年」は「すべての星がいったん出発した元の地点に戻って、天全体に同じ配置が再現されるまでの36000年の周期」(羅和辞典、研究社)ということでした。

キケローは「一めぐりの年」を36000年とは言っていません。一方で、その「一年」は12000年くらいだと、間接的に言っています。

36000年は、ヒッパルコスが観測から推定した歳差年。キケローがヒッパルコスの書を読んでいたかは、わかりませんが、偉大なキケローが36000年と12000年を取り違えるわけがない。

ですので、ここは、キケローはプラトンの学説にしたがって、論をすすめていると考えた方が良いでしょう。気になるのは、先にふれた、ロームルスの死(B.C.716)からの567年が、その「一年」の20分の1に満たない、という記述です。

ティマイオス」の39.dの註によると、「時間の完全数が完全年を満たす」というのは、八つの周期の最小公倍数が完全年の長さであることを意味する、とのこと。プラトンの弟子エウドクソスは、惑星の公転周期を、水星1年、金星1年、火星2年、木星12年、土星30年と与えていたらしいので、最小公倍数は、60。

ここでひとつおまじない。216×60年=12960年。その20分の1は648年で、12960年がその「1年」とすると、割と文意が通ります。「216」の数字は、ピタゴラス学派以来宇宙の要素を表す数として尊重された3の3乗、4の3乗、5の3乗の和となる数字。ちなみに216×60000=12960000はプラトン数。これを360で割ると、36000で、こちらはプラトン年というらしい。あれ? ヒッパルコスの歳差年と同じだ。なんだ、羅和辞典は、プラトン年をとっているのか。

何か、夢の中で化かされたような。『スキーピオーの夢』「20分の1」の謎、でした。

 

 

<2023年3月に追加の記事を書きました>

 

latin.hatenadiary.jp

 

 

第19回課題(2020.4.4)

練習問題19-1

Mens cūjusque, is est quisque.
メンス・クイユスクゥェ・イス・エスト・クゥィスクゥェ

Cic.Rep.6.26

キケロー「国家について」

Cicero: de Re Publica VI

 

【学習課題】

 代名詞1 不定代名詞

 

【語彙と文法解析】

mens mentis, f ① 知性, 頭 ② 精神, 心.(以下略)
mensは第3変化名詞(i幹名詞)mensの主格(呼格)。ここでは主格。精神は。

quīsque quaeque quidque(pron), quodque(adj), pron, adj
各人, おのおの, だれでも, 何でも(しばしば sg が pl 扱いされる).
cūjusqueは不定代名詞quīsqueの男性・単数(のみ)・属格。各人の。
quīsqueは不定代名詞quīsqueの男性・単数(のみ)・主格、文の補語。各人

is ea id, pron, adj demonstr ① 彼, 彼女, それ.② ~, qui ...の人
isは指示代名詞 isで、ここでは補語のquisqueに合わせて男性・単数・主格。文の主語。

sum esse fuī(fut p futūrus, inf fut しばしば fore, subj impf しばしば forem), intr Ⅰ (存在詞)① ⒜ 存在する, ある, 居る(中略) Ⅱ (繋辞として)① ...である(以下略)
estは不規則動詞 sumの三人称・単数・現在。

 

【逐語訳】

Mens(精神) cūjusque(各人の), is(それは) est(である) quisque(各人).

 

【訳例】

各人の精神、それが各人である。

 

(古典の鑑賞)

キケロー「国家について」第6巻・スキーピオーの夢 26節の一節でした。今回も『キケロー選集8』(岡道男訳、岩波書店)を図書館で借りてきて読んでみました。

つい最近、課題で「スキーピオーの夢」を読んだ時、古代天文学が球形の地球を前提としていたことに驚いたのですが、今回は、時間のスケールの大きさです。

大アーフリカーヌスは続けて言います。「人間はふつう一年を太陽だけの、つまり一個の星の回帰によって計る。しかし、実際には、すべての星がいったん出発した元の地点へ戻り、(中略)それをほんとうに『一めぐりの年』と呼ぶことができる」(岡訳、以下同じ)と。

これはおそらく歳差年のことを言っていると思われるので、現代の天文学では、2万5800年となりますが、これによって「一年が満たされたと考えるように」と言うのです。この「一年」とは、世代間隔を大雑把に25年とすると、およそ1000世代となる、悠久の時間のスケールです。

そして、そのような永遠の時の中では、民衆の噂や賞賛などというものは、刹那に「後世の忘却によって消え去る」ものであって、「おまえの行為において希望を人間的な褒賞に託したりしてはならない」と説きます。

で、「死すべきものは(中略)身体であると心得るように。じじつ、その形が表すものはおまえではなく、各人の精神こそが各人である」と今回の課題となりました。

魂の不死や神の存在は、哲学の重要な課題ですが、不死なる神(魂)を宇宙の摂理と捉えるところに、最高の徳を見いだすキケローにとって、やはり魂の不死性の概念は、大変重要な概念なのだな、と改めて感じました。

 

 

 

 

第13回課題(2020.3.1)

練習問題14-5

Fit via vī; et hanc tibi viam dabit philosophia.
(フィト ウィア ウィー エト ハンク ティビ ウィアム ダビト ピロソピア)

Sen.Ep.37.3

セネカ「倫理書簡集」

Seneca: Epistulae Morales, Liber IV

 

【学習課題】

動詞2 直接法・能動態・未来

 

【語彙と文法解析】

fīō fierī factus sum, intr(facio の pass として用いられる)① なる 〈ut [ne, quin] +subj〉;起こる;なされる ② 生まれる, 作られる;任命される.
fitは第3変化動詞(semi-deponent)fiōの三人称・単数・現在。それは生ずる。

via -ae, f ① 道, 道路.(以下略)
vaiは第1変化名詞 viaの女性・単数・主格(呼格)。ここでは主格。道は(前半の文の主語)
viamは単数・対格。道を。(dabitの直接目的語)

vīs (gen vīs(まれ), dat vī(まれ), acc vim, abl vī;pl nom, acc vīrēs(まれな別形 vīs), gen vīrium), f ① (人・動物・自然の物理的な)力, 強さ, 勢い(以下略)
vīは 第3変化名詞 vīsの女性・単数・奪格。力で。(手段の奪格)

et conj, adv Ⅰ (conj)① ...と[そして]... ② (補足的に)そして[さらに]...も
 ③ そしてまったく, しかも ④ (物語で)そしてそれから
etはここでは接続詞。そして。

hic haec hoc, adj, pron demonstr Ⅰ (adj)① この, ここの, ここにある.(以下略)
hancはここでは指示形容詞。この。

tū (gen tuī, dat tibdummya130, acc, abl tē, pl nom, acc vōs, gen vestrum, vestrī, dat, abl vōbīs), pron pers (二人称)あなた, きみ, おまえ.
tibiは人称代名詞 egoの二人称・単数・与格。あなたに。(dabitの間接目的語)

dō dare dedī datum, tr ① 与える, 提供する, 授ける 〈alci alqd;alqd ad [in] alqd;alqd alci rei〉.(以下略)
dabitは第1変化(不規則)動詞dōの三人称・単数・未来。それは与えるだろう。

philosophia -ae, f ① 哲学.② 哲学の理論[学派].③ 人生観.
philosophiaは第1変化名詞 philosophiaの女性・単数・主格(呼格)。ここでは主格。哲学は。(後半の文の主語)

 

【逐語訳】

Fit(生ずる) via(道は) vī(力で); et(そして) hanc(この) tibi(あなたに) viam(道を) dabit(与えるだろう) philosophia(哲学は).

 

【訳例】

道は力によって生ずる。そして、哲学はこの道をあなたに授けるだろう。

 

(古典の鑑賞)

セネカ「倫理書簡集」書簡37の一節でした。今回は『セネカ哲学全集5 倫理書簡集 Ⅰ 』(高橋宏幸訳、岩波書店)を図書館で借りてきて読んでみました。「倫理書簡集」は勉強会の課題として、4回目です。

「倫理書簡集」は、セネカが皇帝ネローから逃れるように、隠遁生活に入り、ネローによって自殺を強いられるまでの最晩年の3年間に書かれた作品。ルーキーリウスに宛てた手紙の形をとっていますが、「死」を覚悟したセネカが、自分自身に向けて問うた「哲学の勧め」なのかも知れません。

書簡37は、不安からの解放、幸福、つまりは自由であるために、卑しく、埃にまみれ、奴隷根性で、残忍でもある様々な感情に打ち勝つためには、哲学のみが頼りであり、理性を導きとして、この道を進むことを勧めている。

自由とは何か。「いかなる状況にも、いかなる強制にも、いかなる事態にも隷従せず、運命を対等の立場に引き下ろすことだ。(中略)ならば、私が運命に屈することがあろうか。死も私の掌中にあるというのに。」(書簡51.9、高橋訳)

前半の「Fit via vī」はウェルギリウスの「アエネーイス」(2.494)からの引用で、ギリシャ軍がトロイアの城内になだれ込む、有名な場面です。哲学こそ、その自由への突破口なのだと、セネカ万感の思いで書き綴った、と私には思えました。

  

第7回課題(2020.1.25)

練習問題9-2

Varietās dēlectat.
ウァリエタース・デーレクタト

Cic.N.D.1.22

キケロー「神々の本性について」

Cicero: De Natura Deorum I

 

【語彙と文法解析】

varietās -ātis, f ① 二つ(以上)の色がある[現われている]こと.② 雑多, 多種多様, 変化に富むこと;変種.(以下略)
varietāsは第3変化名詞 varietāsの女性・単数・主格(呼格)。ここでは主格。

dēlectō -āre -āvī -ātum, tr intens ① 喜ばせる, 楽しませる;魅する 〈alqm re〉.② (pass)楽しむ, 喜ぶ 〈re;+inf〉.
dēlectatは第3変化動詞 dēlectōの3人称・単数・現在。

 

【逐語訳】

Varietās(多様性は) dēlectat(〜を喜ばせる). 

 

【訳例】

多様性は(神々を)楽しませる。

 

(古典の鑑賞)

キケロー「神々の本性について」第1章22節の一節でした。今回は『キケロー選集11』(山下太郎、五之治昌比呂訳 岩波書店)を図書館で借りてきて読んでみました。今回も山下先生のご翻訳です。

「神々の本性について」は『善と悪の究極について』『トッスクルム荘対談集』などキケロー晩年の一連の哲学書のひとつ。この世界の真理や人間のあるべき姿を考えるのに、「神」という概念は軽々に扱えない、重い課題ですね。

そのためか、キケローはこの作品では、神についての自身の見解を示すかたちはとらず、「神々の本性にかんする哲学者の諸説を披露」することで、これを読む人が、神についての自身の見解に疑問の目を向けるよう促した、ということらしいです。

作品は、当代随一のエピクロース派の学者ウェッレイウス、ストア哲学研究の第一人者バルブス、キケロー自身が信奉するアカデーメイア派の論者コッタという、いずれ劣らぬ哲学の権威の対談として書かれています。

私も哲学好きなのですが、第1章を読んでみて、ウェッレイウスが、ギリシャの自然哲学者らを割と手厳しくバッサリと切り捨てているのは意外でした。エピクロス自身も、誰の教えも受けていないと豪語していたらしいので、こうしたところも、独りよがりな議論を嫌うキケローの気に済まないところなのかな、と思いました。

哲学的には、まず「宇宙の起源」を問い、何ものも「有らぬもの」からは生まれないと主張するエピクロス派のウェッレイウスは、永遠の時間の中で、神は、何故あるとき突然思いたって「宇宙を星座や光で飾ろうと」欲したのか、と問います。

で、それまで暗黒の中で暮らしていた神が、どうして、「天地を彩るさまざまな装いに心を楽しませるようになった」(山下訳)のか、と今回の課題のくだりとなりました。

 

以下は、前後の文を逐語訳です。

<逐語訳>

Si(もし…ならば), ut(〜するために) [deus](神は) ipse(自ら) melius(よりよく) habitaret(居住する),

antea(であれば、それより前は) videlicet(〜は自明である) tempore(時の中で) infinito(無限の) in(において) tenebris(暗闇) tamquam(〜のように) in(における) gurgustio(あばら屋) habitaverat(住んでいた).

Post(その後) autem(ところで): varietatene(多様性によって+〜のか) eum(彼は) delectari(楽しまされる) putamus(と我々は考える),

qua(ところのそれ(多様性)によって) caelum(天) et(と) terras(地) exornatas(飾られている) videmus(のを私たちが見る)?

 

第8回課題(2020.2.2)

練習問題10-4

Passibus ambiguīs Fortūna volūbilis errat.
パッシブス アンビグイース フォルチューナ ウォルービリス エッラト

Ov.Tr.5.8.15

オウィディウス「悲しみの歌」

Ovid: Ovid: Tristia V

 

【語彙と文法解析】

passus -ūs, m ① 歩み, 歩.
passibusは第4変化名詞passusの男性・複数・奪格

ambiguus -a -um, adj ① 動揺している, どっちつかずの, 疑っている.② 信頼しがたい, 不確実な, あてにならない.③ 両義にとれる, あいまいな.(以下略)
ambiguīs第1・第2変化形容詞 ambiguusの複数・与格または奪格。ここでは男性・複数・奪格。

fortūna -ae, f ① 運, 運命.② 幸運.③ 不幸, 不運.④ (F-)〘神話〙フォルトゥーナ《ローマの運命の女神;ギリシア神話の Tyche に当たる》.(以下略)
Fortūnaは第1変化名詞forūnaの主格(呼格)。

volūbilis -is -e, adj ① 回転する ② 転がりやすい;変わりやすい.(以下略)
volūbilisは第3変化形容詞 volūbilisの男性/女性・単数・主格(呼格)。ここでは、Fortūnaにかかり、女性・単数・主格。

errō -āre -āvī -ātum, intr(tr)① 放浪する, さまよう(以下略)
erratは第1変化動詞 errōの3人称・単数・現在。

【逐語訳】

 Passibus(歩みで) ambiguīs(ふらふらした) Fortūna(運命の女神は) volūbilis(変わりやすい) errat(さまよう).

 

【訳例】

移ろいやすい運命の女神はふらふらした足取りでさまよう。

 

(古典の鑑賞)

オウィディウス「悲しみの歌」第5巻第8歌の一節でした。今回は『悲しみの歌/黒海からの手紙−西洋古典叢書』(木村健治訳、京都大学学術出版会)を図書館で借りてきて読んでみました。

様々な憶測はあるものの、理由は定かになっていないそうですが、当代一流の人気詩人として活躍していたオウィディウスは、アウグストゥス帝によって、追放処分を受け、流刑地トミス(黒海沿岸の町。現在のルーマニアのコンスタンツァ市)に流されます。

流刑地に向かう旅は約1年かかったそうですが、「悲しみの歌」はその旅の途中から創作を始め、到着後も書き続けて、全5巻となりました。「黒海からの手紙」全4巻も書きあげています。

こうしたトミスでの詩作は、アウグストゥスへのローマ帰還の嘆願の意味もあったようですが、叶わず、オウィディウスはこの地に骨を埋めることに。

華々しい宮廷サロンから、流刑の身へ。抗いがたい運命に翻弄されたオウィディウスにとって、Fortūna(運命の女神)は特別な意味を持っていたのかも知れませんね。

課題文の詩歌は「第8歌 誹謗する輩に」。自分に対してあれこれ言ってくる者に対して、「皇帝がお怒りを鎮められれば、こんなこともありうると考えるがよい。(中略)お前がより重大な原因で追放されるところを私が見たりするというようなことが」(木村訳)と釘を刺すのですが、「その支配者であるあの方(アウグストゥス)以上に寛大な人はおられないからだ」云々というあたりが、詩文が皇帝に向けて書かれた嘆願書であることを、赤裸々に物語っているようです。

ところで、運命の女神と言えば、「後ろ髪がない」というのが有名ですが、「運命を操るための舵を携えており、運命が定まらないことを象徴する不安定な球体に乗り、幸運の逃げやすさを象徴する羽根の生えた靴を履き、幸福が満ちることのないことを象徴する底の抜けた壺を持っている」(Wikipedia)のだとか。

何気ない描写の隅々に、暗黙知が前提となっている、まさに学識の詩人であります。

 

Fortuna or Fortune

 Fortūna(運命の女神)(Wikipediaより)

 

 

第21回課題(2019.11.23)

練習問題39-5

Deinde ego illum dē suō regnō, ille mē dē nostrā rē pūblicā percontrātus est, multīsque verbīs ultrō citrōque habitīs  ille nōbīs cosumptus est diēs.

Cic.Pep.6.9
Cicerō, Dē Rē Pūblicā
キケロー「国家について」

Cicero: de Re Publica VI

 

【学習課題】

様々な構文 絶対的奪格

 

【語彙と文法解析】

deinde adv(副詞)① 次いで, それから.② その後, 以後.

ego pron pers(人称代名詞)私
egoは人称代名詞egoの一人称・主格または呼格
mēは人称代名詞egoの一人称・対格または奪格
nōbīsは人称代名詞egoの一人称・複数・与格または奪格。ここでは行為者の奪格

ille pron, adj demonstr(指示代名詞、指示形容詞)① あれ, それ, あの人, その人, 彼, 彼女 ② 以下のこと.③ 例の[周知の]人[もの, こと].
illumは指示代名詞 illeの男性・単数・対格
illeは指示代名詞 illeの男性・単数・主格

dē prep(前置詞)〈+abl〉① ...から(下へ・離れて)(中略) ⑩ (関連・限定)...に関して, ...について(以下略)

suus -a -um, adj poss(所有の)refl(再帰の)① 自分(たち)の, 彼[彼女, それ, 彼ら, それら](自身)の(以下略)
suōは第1・第2変化形容詞suusの男性・単数・与格または奪格、または中性・単数・与格または奪格。ここではregnōにかかる中性・単数・奪格。

regnum -ī, n. ① 王であること, 王権, 王位.(中略)④ 王国;王領, 領土.(以下略)
regnōは第2変化名詞regnumの中性・単数・与格または奪格。ここでは、dē の要求する奪格。

noster -tra -trum, adj poss(所有形容詞)① 我々の, 我々に属する, 我々による;我々に対する.② =meus.
nostrāは第1・第2変化形容詞noster(主格は-er)の女性・単数・奪格

rēs reī, f ① 物, 物事, 事柄.(以下略)
rēは第5変化名詞rēsの女性・単数・奪格

pūblicus -a -um, adj ① 国民(全体)の, 国家の res publica‖=respublica.(以下略)
pūblicāは第1・第2変化形容詞pūblicusの女性・単数・奪格

percontor -ārī -ātus sum, tr(他動詞) dep(形式受動相動詞)質問する, 尋問する, 調べる
percontātus estは第1変化動詞percontorの完了分詞、男性・単数・主格。
estとともに、percontorの直説法(・受動態)・完了、3人称単数を作ります(形式受動態動詞ゆえとくに受動態と断らなくてもよい)。

multus -a -um, adj ① 多数の, 多くの, 豊富な.(以下略)
multīsqueは第1・第2変化形容詞multusの女性・複数・与格または奪格、あるいは中性・複数・与格または奪格にqueがついた形。-que...-queで〜も〜も。ここではverbīsに合わせて中性・複数・奪格。

verbum -ī, n. ① ことば, 語, 単語(以下略)
verbīsは第2変化名詞verbumの中性・複数・与格または奪格。ここでは奪格。

ultrō adv ① 向こう側へ, 越えて(以下略)

citrō adv こちら側に
ultrō citrōqueで、あちらこちらに;両側に;相互に.

habeō -ēre habuī habitum, tr(intr)① 持つ, 所有する.(以下略)
habitusはhabeōの完了分詞
habitīs は第1・第2変化形容詞habitusの女性・複数・与格または奪格、あるいは中性・複数・与格または奪格。ここでは中性・複数・奪格。
verbīs...habitīsは「絶対的奪格」。「言葉がもたれて」。日本語にする場合は「言葉を交わして」等。

consūmō -ere -sumpsī -sumptum, tr ① 使う, 費やす(以下略)
consumptus はconsūmōの完了分詞、男性・単数・主格。estとともにconsūmōの直説法・受動態・完了、3人称単数を作る。「費やされた」。

illeは指示形容詞ille,illa,illud(あの、その)の男性・単数・主格。diēsにかかる。
diēsは男性、女性両方の扱いを受けますが、この文では男性名詞として使われています。consumptusの形でわかります

diēs -ēī, m(f)① 日, 一日(以下略)
diēsは第5変化名詞diēsの男性(女性)の単数・主格(呼格)または複数・主格(呼格)または複数・対格

 

【逐語訳】

 Deinde(それから) ego(私は) illum(彼に) dē(〜について) suō(彼の) regnō(王国), ille(彼は) mē(私に) dē(〜について) nostrā(我々の) rē pūblicā(国家のこと) percontrātus est(詳しく質問した), multīsque verbīs(多くの言葉が) ultrō citrōque(相互に) habitīs(持たれて) ille(その) nōbīs(我々によって) cosumptus est(費やされた) diēs(一日が).

 

【訳例】

 それから私は彼の王国について、彼は私に我々の国家のことについて詳しく質問した。互いに多くの言葉を費やして、一日を過ごした。

 

(古典の鑑賞)

キケロー「国家について」第6巻・スキーピオーの夢の冒頭の一節でした。今回も『 キケロー選集 8』(岡道男訳、岩波書店)を図書館で借りてきて読んでみました。

「スキーピオーの夢」は、山下先生が『ラテン語を読む キケロー「スキーピオーの夢」』(ペレ出版)を著されているので、前から作品は知っているのですが、通して読んでみたのは今回が初めてです。

読んでみて、まず舞台設定の壮大さに驚きました。ローマの英雄スキーピオー(147年、134年の執政官、スキーピオー・アエミリアヌス)が、夢の中で、義祖父のスキーピオー・アーフリカーヌスから、この世界の真理と国家のあるべき姿、指導者としての心得などについて、話を聞いているのですが、なんとそこは宇宙空間。星をちりばめた天の高みから、球形の地球をはるかに見下ろしています。現代の私たちには、見慣れた光景ですが、改めて古代天文学の水準の高さには驚かされます。

スキーピオーの夢は、第6巻9章から始まりますが、冒頭は、ラエリウスらそれまでの討論メンバーとの会話の続きです。スキーピオーが、大スキーピオーの友人だった北アフリカヌミディアの王マシニッサを訪ねた場面で、「…その日は、わたしたちが互いに多くの話を交わすうちに過ぎた。」と今回の課題のくだりとなりました。

王の歓迎の宴も終わり、旅の疲れもあって、スキーピオーは深い眠りに。夢の中に大スキーピオーが現れて語り始める、という設定でした。

課題に取り組んでいるときは、「多くの言葉を費やして、一日を過ごした」その話の内容がこれから展開されるのかなと思いましたが、大スキーピオーの霊を登場させるための、枕だったんですね。